矛盾に内在する神の御心と真理
- 2017/01/03 17:54
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:聖書歴史
霊と魂、心などの使用にそんなに目くじら立てなくても、その場その場で適切に使い分けていけば、との声があるようだ。だからヘブル4:12の霊と魂の切り分け(⇒http://www.kingdomfellowship.com/Topics/spirit_soul.html)なんて真理はニッポンキリスト教ではほとんどポカ~ン状態。
いやはや、ジーザスはなんと言われたか。律法の書は一点一画も崩れ去らない。日本語マトリックスで生きる人にとっては理解できない世界があるのです。御言葉は神の種、つまり霊的DNA。あなたの体のDNAの塩基配列がテキトーだったらあなたは存在していない。その配列、特に遺伝子の領域にはすべて意味があるのです。いわんや・・・
さて、前にイスラエルの再建国が1948年となる数値予言的根拠をご紹介しましたが(アレ、したよね?)、もうひとつ御言葉の正確さを紹介しましょう(ぜひご自分で聖書を確認してくださいな)―
・ファクト1:出エジプトからソロモンが神殿建設に着手するまでの期間について、列王記上6:1には【480年】とある。
・ファクト2:一方、使徒行伝13章には「神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、カナンの地では七つの民族を滅ぼし、その土地を彼らに相続させ・・・これは、約四百五十年にわたる・・・後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり」―とりあえず、ここまでが530年、さらにダビデの統治が40年、ソロモンの3年間を加えて【573年】!
あらら、その差【93年】! 矛盾だ!? だからね、聖書はテキトーに書かれた神話なんですよ。アダムとエバ? エデンの園? だいたい元は口伝であり、ボイスレコーダーもなかったんだから、伝言ゲームと同じで、いろいろ付け足したり削ったりでできたシロモロ・・・。と、この辺りを根拠に口角泡を飛ばす向きもある。ネットではこういった部分を鬼の首を取ったようにあげつらう輩が多いのだ。
が、ちょっと待ってくださいな。一見矛盾した部分に真理がある事は聖書の常(前に香壇の位置の秘密を紹介した、よね?)。士師記を見て下さい。この記録によるとあの地が異邦の民の支配下に置かれた時期が5回あります。8年(3:8)、18年(3:14)、20年(4:2-3)7年(6:1)、40年(13:1)―合計すると【93年】。
お分かりでしょうか? 聖書はこのようなポリシーにより記録している書なのです。まあ、聖書は誰が何と言おうが神の言葉だ~と、細かい相違は目をつむり的な盲信も決しておススメいたしませんが。また鳥の羽を天使の羽と喧伝するような「信仰」もちょっとね・・・
追記:この数値については、ことば社の『エッセンシャル聖書辞典』にても高等批評的スタンスからアレコレ論じているが・・・。結局要を得ていない。
追記:まあね、そもそも日本語は時制も、単複もあいまいで、真理を記述する言語としてはもっとも不適当。そのうえ、明治以降、西周などが造語した哲学(☜これ自体が彼の造語)用語などを、これまた定義を曖昧にしたままもっともらしく使うから、ほとんどめちゃくちゃになるわけ。そもそも西のキリスト教神学は諸哲学を組み込んでしまっているからね。私は白いキリスト教と言っていますが。パウロは、騙しごとの哲学と言ってるのですが・・・。脱ニッポンキリスト教のためには脱日本語マトリックスが必要なのです。ここでもマインドのトランスフォームが要るわけ(ローマ2:2)。