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ブログ・スクリプトをWord Pressにチェンジしました。明日(2017年3月10日)以降、このページは更新しません。新しいブログに移行します。

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Entry

2016年05月

JAVAとフェイス―ニュークリーチャーはいかに生成されたか

プログラミングの話が出たついでに、ちょっと昔の記事を紹介:

JAVAと信仰

●最近流行のプログラム言語にJAVA というものがあります。インターネットと相性がよくて、タイトル・ページの"KINGDOM FELLOWSHIP"と"DR.LUKE'S MINISTRIES"のロゴがキラキラと輝くのはJAVAアプレットによります(現在は変更)。JAVAはC言語を発展させて構造化を徹底させたいわゆるオブジェクト指向言語です。この言語の特徴が何だかとても聖書的なんですね。

●JAVAでプログラムを書くときには、すでに用意されているライブラリーの中にあるクラスファイルというものを利用します。これは例えばウインドウを開きたいときなど、誰でもが共通に使う部分はその用途ごとにクラス分けして、ちょうど半オーダーメイドの洋服の型紙みたないものが用意されているわけです。この型紙に自分のオリジナルな機能を付け加えて自分の目的にあったプログラムを書くわけです。このクラスに自分の機能を付け加えることを継承と言います。そしてできたクラスだけではまだプログラムそのものではなく、これを実体化してオブジェクト(実行ファイル)ができるのです。

●私たちはアダムにあって誕生しました。私たちが継承した罪(Sin)はアダムにあって人類に入り込んだのです。この罪(Sin)はいわばクラス(型)みたいなもので、これが実体化されて個々の罪の行為(sins)が生まれます。神の目から見てアダムの腰の中にいた私たちも、アダムが罪を犯したとき罪を犯したのです。え、私はその時にはまだ生まれてなかった!とは言わないで下さいね。神の目においてはアダムはすべてを含んでいたのであり、アダムの罪はその後の全人類の罪のいわばクラス(型)なのです。このアダムにあって入り込んだ罪のクラスが人類の歴史の中で実体化されて個々の具体的な罪々が行なわれるのです。問題は私たちがすでにアダムのクラスに含まれていることであり、あらゆる罪はその実体化なのです。

●そこで神の救いはアダムにある私たちをまず終わらせることから始まります。つまりアダム・クラスを削除するのです。そして私たちをキリスト・クラスに復活させるわけです。こうして死と復活をとおして、私たちはクラス(血統)の入れ替えがなされます。こうしてニュークリーチャーが生成されました。このときキリストにある私たちには神の義が継承されるのです。これは誕生のクラス(系列)の問題なのです。ひとりの違反により全人類が罪人になったように、ひとりの義の行為により私たちは義とされるのです(ローマ書5章を参照のこと)。これを「同一視の原理」あるいは「包括の原理」と言います。神の目から見て、私たちはキリスト・クラスに属しており、キリスト・タイプ(型)の義が私たちの人生において具体的な形で義の行為として実体化されるのです。要するに信仰はすでに得ているクラス(霊的事実・真理)を実体化することです(ヘブル11:1)。よってアダムのクラスに属する人が努力してなすことではありません。神の国に入ることは、自分が生まれたクラスがどこであるか、つまり誕生の問題なのです(ヨハネ3:5,6)。このことを真に見ればクルシチャン(苦しちゃん)状態から解放されるでしょう!

●JAVAと信仰・・・思わぬところで思わぬ関係があると思いませんか?

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わがPC遍歴から話が飛んだ@FB

この記事、ちょっとオドロキ。のどかなのか、アブナイのか・・・。

-米軍、核兵器の運用にいまだにフロッピーディスクを使っていた

で、フロッピーの話題でふとわがPC遍歴を・・・。1978年頃、NECの4ビットのマイコンTK-80が出た。これは画期的。いわゆるオタクの走りがアキバのBit-INに集まり、機械語(1と0)でプログラムを打ち込む時代。

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TK-80については静観していたが、次のSHARPのMZ-80には食指が動いた。8BitのZ-80でメモリは48KB(!)、値段は28万円。クリーンPCが売りでBasic、COBOL、そしてFOTRANすら使えた。私はこれでFFTのプログラムを書いて(今から思うとスゴイ!)、スペクトル解析などをし、論文を書いていた。

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次に出たのが、わが諏訪の精工舎と言われていたセイコーの下請けだったEPSONが出したハンドヘルドPC。これには感動した。今のノートブックの先駆け。Z-80でメモリは64KBフル装備。OSはCP/Mで(後にビルゲーツがパクってMS-DOSとし、Microsoftの基礎を作った)、BasicとZ-80のアッセンブラで株の分析ソフトを書いて、雑誌に記事を投稿して、発売した。何セットかは売れた(笑) 写真の雑誌「Oh HC」の緑の号に私の記事が掲載されている。時代はバブル、一応マンションの頭金は作った。この時代まではPCとOSおよびメモリの中身はすべて把握しつつ、プログラムを書いた。記憶媒体はカセットテープ!しばらくして8インチフロッピーが出たが、これは感動だった。


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ネクストがNECのPC-98シリーズ。だが、私は主流派は嫌いで、EPSONが出した互換機PC-286に乗った。当時はNECの独断場だったが、EPSONはそこに風穴を開けた。最初はN-Basic、後にMS-DOS。この頃から中身が見えなくなってきた。メモリも640KB。インテルの16BitCPU80286も把握できなくなった。

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で、95年にWindows95が出るのだが、中身がまったく不明のWindowsに私は抵抗した。人が作った環境の中で遊ばされるのはプライドが許さないと・・・。が、中学の同級生の石埜君の挑発もあって、ついに97年に陥落、Windowsを導入。私がビルゲーツに膝をかがめた瞬間だった(大げさ!)。あの敗戦の時って、多分にこんな感じだったんだろう・・・。

で、その後はNECのPC-98シリーズも凋落し、IBMのDOS機に主座を奪われ、現在に至るわけだが、CPUとメモリと記憶媒体の進化は著しく、もうまったくフォローできていない。

ケイタイも97年頃にコンタクトレンズを買ったとき、付録でもらったPHSが便利なことが分かり、これも陥落。ケイタイなんて自分の時間にわざわざ他人の侵入を許すだけだからうざい。よって誰が持つか、と張っていたのだが・・・。スマホ(大体、スマフォだろ!)に至っては電話にカメラや変なアプリがゴチャゴチャと、こんなものはいらん、と張っていたが、いや、これは電話ではなく、携帯PCに電話やもろもろのソフトがついてるんだとマインドをパライダイムシフトして、納得の上購入。

今、思うと手塚治虫が未来漫画で描いた世界がほとんど実現しているわけ。まことに創世記にあるとおり、人が思い描いたことは実現するのだ。小学時代はトランシーバーを手に入れて感動、高校時代はCB無線、自作の違法出力送信機で「CQ、CQ」とやっていたのだ。

かくして現代では、なんというか人と人の物理的な間は確実に縮まった。が、逆に精神的な間は広がっているのではなかろうか。つながってないと不安、スマホを手にしていないと心配、LINEイジメとか・・・。自己疎外感と孤立感は現代を覆う深い病理のひとつ。精神病理学の木村敏氏は「分裂病は間の病理だ」と指摘したが、今の時代は、ふつうに間の病理が蔓延しているとも言える。しかも病識がない。が、それは今回のアイドルのめった刺し事件で分かるように、ちょっとしたことで火を噴くのだ。

内海信彦画伯が、最近の男と女の関係は単なる局所的性器的結合だけで、AV世界化していると指摘されているが、まことにそのとおりかもだ。男と女の微妙な心の襞とか綾とか、そういった感性が欠如して、きわめて無機質な感じがするのだ。・・・って、オヤジの勝手な妄想かもだが・・・。

ああっと、フロッピーの話がトンデモなく飛躍した。思えば遠くへ・・・だ。

追記:しかしWindows10って、勝手に人のPCの中身をいじくって、自分をインストールするらしい。これって立派なIT的レイプだろうに!ビルゲーツよ、高ぶりは破滅に先立つとバイブルにあるから!

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これ、しばらく前に登録したが、それだけ。で、今回、バナーをつけてみたが、いったい何が起きるのだろうか?IN POINTとかOUT POINTとかっていったなんだろう?さっぱりわからんが・・・。

 

アイドルの危険性―霊的空虚を埋める存在

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女子大生アイドルがめった刺しされる事件が起きた。尋常ではない恨みを感知する。すでに霊的なものであると思われる。今週のメッセでも語ったことであるが、詩編139編にこうある:

神よ、わたしを究め/わたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知ってください。御覧ください/わたしの内に迷いの道があるかどうかを。どうか、わたしを/とこしえの道に導いてください。-Ps 139:23-24

この「迷いの道」、新改訳では「傷ついた道」と訳されている原語は"otseb"、原義はアイドル、つまり偶像。さらにこの語源は"ehtseb"、その意味は地の器だ。要するに地の器を偶像にすること。われわれが受ける傷や労苦はみなここから生まれる。ある人を尊敬し(これはよい)、さらに崇拝する。すると相手に対する期待値が高まり、相手に投影する。そこで自分の期待とわずかでもそぐわないとき、裏切られたと感じる。これが傷だ。今回のアイドルのめった刺し事件もここから起きている。また会社や組織のために忠誠を尽くす。そのために家族や自分を切り売りしてまで組織に魂を売る。これが傷を生む。そもそも労苦自体が傷となるのだ。

主の祝福が人を豊かにする。主は人に何も労苦を加えない。-Prov 10:22

この世はすべからくバビロンのシステムである。人間は罪のために神から切り離されて以来、自分の労苦でいのちの糧を得て、自分でこの人生のサバイバルする努力を求められるようになった。神によって地が呪われ、労働も喜びの営みではなく、自分を切り売りする労苦となったのだ。嫉妬に狂ったカインがアベルを殺して後、エデンの東に逃げ、彼の子孫は家畜を飼う者、音楽を奏する者、青銅や鉄を鍛える者となった(Gen 4:20-22)。現代文明である食料、娯楽、技術の祖である。サタンはそこに自分の組織を打ち立てた。これがこの世(Cosmos)と呼ばれる体系。その中核がマネーだ。マネーを制する者はこの世を制する。これが現代の人類の普遍かつ不変のパラダイム(と、思わされているだけ)。が、これはマトリックスだ。何度も指摘するがマネーは元々幻想。それはない!

このようなシステムにおいては、人は力のある者を頼りとし、媚びる。今、WOWOWで放映中の山崎豊子の『沈まぬ太陽』において、親友であった恩地と行天の人生は分かれていく、一方は自分の心に真実、他方は自分の心と友を裏切ってまで上司に魂を売る。名画『ベン・ハー』のジュダとメッサラの運命と共通する要素がある。これらの現象はすべて偶像がなし得るもの。霊的に死んでいるとはいえ、人には何かを礼拝したい、そしてその存在に自分を委ねたいという根源的欲求が存在する。だから宗教が次々に登場する。一説では日本の宗教法人の会員数は1億を超えるとか!? しかし、この世の神は人を持ち上げて、最後には人を落とす。神の形に創造された人を貶めることは究極的に神を貶めることだからだ。まことに悪魔はジーザスにすら、私を礼拝すれば、世のすべての栄華を与えると唆したのだ

この世はすべてフェイク。それは浮世狂言。踊る者と踊らされる者、それぞれの役割を忠実に果たすことにより、この世のシステムは万端難なく回っていく。それに異議を唱える者は危険分子とみなされる。その中で人々は自分を委ねることのできる究極の存在を探して彷徨っている。否、その意識はないかもしれないが、そのサブコンシャスのレベルにおいては常にそれを求めているのだ。ここから種々の宗教、そしてカルトが生まれる。カルトの意味は元々は「礼拝」である。まことにその道から離れ、永遠の道に入る者は幸いである。

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Dr.Lukeのワンショット―霊のサブスタンスを語り出せ

マインドとスピリットの波動の場―マインドを音声化する装置ができた

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-The device that eavesdrops on the voices in your head: Mind-reaching machine could soon turn your secret thoughts into speech

私の本『神の新創造-聖書が啓示する自然法則を超えるマインドのパワー』でも書いているが、われわれの魂(soul)の機能であるマインドは、霊(spirit)と共に相互作用し、ある種の波動、バイブレーションの場を生じる。電磁波は電場と磁場が交互にバイブレーションにしつつ真空中を伝搬する波動であるが、それと同じ。

メッセでも語っているが、われわれのマインドは個人のブレインに限局されているわけではない。霊的領域においては波動としてある広がりを有している。これはちょうど電子などの素粒子が粒であり、波動であるのと同様である。電子は波の性質も有し(つまり広がり性)、粒子の性質も有している(つまり局在性)。

だからセレブなどの場においてフラストレーションや批判的なマインドを有していると、それはちょうど粒子のように限局化され、しこりとなってしまう。すると聖霊の波動を共有できず、その人はその場にいても神のタッチを受けることができない。霊がその人の周囲ではじき返されてしまうのだ。また憎しみ・嫉妬・妬みなど霊によって満たされたマインドは、苦い根として、その場を汚ししてしまう(Heb 12:15)。

ジーザスも人のマインドをご自分の霊で読み取られた。それは霊がマインドの場を感知できるからである。人がなぜ同じ場にいて神の臨在を感じる/感じない、神のタッチを受ける/受けない、また癒しを受ける/受けないのか、その差はまことにマインドのあり方に懸かっているのだ。その人のマインドが霊の波動を阻害している。まことにマインドを凝り固めてはならない。つねに溶かしていただくこと。柔らかいパウダーのように・・・。

きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。-Heb 3:15

参考:霊の機能と魂・体の相互作用について

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また海が・・・

というわけで・・・・。夏の準備・・・・。本日は午前のプールでの計量で67キロ台、で、食事のリミッターを解除した。

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TODAY'S CELEBRATION 【May 28, 2016】

ルーク唐沢

タイトル祝福のマインドフルネス

聖書個所:エペソ4:27;詩編139:23-24;申命記28:11-12など

6月4日のセレブ(会場の都合で土曜日、午後13時からですのでご注意ください)

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700
 

WebKingdom Fellowship

YouTubeDr.Luke's Kingdom Fellowship Channel

ApplePodcast:Kingdom Fellowship Celebration

セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。

全国有名書店で発売中

 
現在、Amazonの在庫がきれており、3-5週間要するようです。

イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。

●面白い口コミがありました:聖書は既読ですが、モーゼが杖をついたら海が二つに割れたり、イエスが一つのパンで何百人の人を養ったりと、神話的な話として読んでいました。この本を読んでからは、神話や伝説ではなく、リアリティとして感じられるようになりました。
●読書メーター感想:読んでも意味がわからなかった聖書がなんとなくわかった。聖書の読み方が変わった。

神の栄光は重い・・・

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まあ、私の仮歯の件は軽くスルーしていただいて(笑)、なんというか、交わりの時間が素晴らしかったですね。聖霊による主の深いタッチと共に、兄弟 姉妹が心を解放し、真実な言葉に満ちていました。弱さもみな安心してさらけ出せる雰囲気、また癒しの証に対してはみんなが喜びを共有できる・・・。

ここで変な自己主張が出たりすると神の国の雰囲気が一挙に冷やされてしまうのですが、それもなく、みなさんが御霊に満たされておられたわけです。日本語で は場の空気、ヘブンリー・アトモスフィア、いわゆる臨在(原語の意味は、ペニーム=神の顔)、これをキープすることって実に大切なことなのだ。

見えない霊なる神が一人ひとりにタッチして下さる感覚を味わえる。最近はボディで感じる方が増えてきているようなのだ。旧約では神の栄光(ヘブル語の意味 は、カボド=重さ)が満ちると祭司たちは立っておれなくなった。神の臨在の栄光は重いのだ。それが体感できる時間と空間は実に貴重。まことに永遠のNOW である天が、この物理的時空間である地を侵食しているのだ!

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本日のメッセ・・・・

今、歯の治療中なのですが、メッセの途中で仮歯が外れてしまったsealed よってちょっと滑舌が悪いですが、YouTubeもPodcastも明日、公開します。・・・しかし、ある姉妹が証されていました:霊的温泉に浸かってる気分だと。そうなんです、聖霊温泉に浸かっていると自然と体のあちこちが癒されてしまうわけ。交わりの時間も神の国のアトモスフィアでした。

神の霊的遺伝子工学―神の種(DNA)のインヒュージョン

今、ある方が案の定、私の最近のメッセにコメント欄でクレームをつけておられる。「私たち(の霊)は神(の霊)だ」について反応しているようだ。まあ、これも想定済みで、福音派の方とかであれば、いわんやではある。いわゆるニッポンキリスト教の神学レベルで私は論じ合うつもりもないし、ここではただ御言葉を語るだけにしておく。

  • 霊から生まれるのは霊である。
  • 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。
  • 神から生まれたすべては(注:「人」ではない)、罪を犯しません。神の種がこの内にいつもあるからです。この存在(注:「人」ではない)は神から生まれたので、罪を犯すことができません。
  • 神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。
  • 相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる(注:原文に「ただの」はない)、ということになりはしませんか。
  • エクレシアとはすべてのことをすべてにおいて満たす方の充満(注:「ところ」などではない!)。

神の霊から生まれたのは人の霊? そもそもアダムの霊も神の息が吹き込まれたもの。神はご自分の霊を分けたのではないでしょうか? その霊が死んでいたが、神から生まれて人の霊が再生された(再誕とかも言うようですが・・・・)。神の霊から人の霊が生まれた? 神がご自分の霊を分け与えてくださったのは人の霊? 御霊が生み出すのは人の霊? 神から生まれたすべては(前に指摘したとおり、「人」ではない)罪を犯さない。それは人の霊? 

まあ、あえて言葉を弄してたとえ話をすると、遺伝子工学では細胞体の中に、古いDNAを除いて、新しいDNAを組み込むことが可能である。すると新しいDNAの形質(形状や能力や性質)を発現するようになる。神は人の霊の内に神の種、すなわち神のDNAを組み込んだ、と言えば納得してもらえるであろうか。だから神属の人類である。罪を赦されたあわれな罪人などではないと何度も語っている。またウィットネス・リーが唱えるような「人性と神性が混ざり合って(mingling)人が神になる」のでもない。「○○性」はDNAの発現形質に過ぎないのだ。

「神のDNAをinfusionされた人の霊は、単なる"人の"霊、それとも"神の"霊か?」という問題なのだ。これがニュークリーチャー、神の新しい創造新人類だ。それまでは存在していなかった種である。それはまったく新しいのだから! 今までの概念には存在してない存在なのだ。新しく定義するしかないわけ。ヤクザが堅気になるとか話ではないのだ。新しく人生やり直すとか、それはどこにでもある単なる宗教だ。

要するに、伝統的なキリスト教の神学とか、教条とかを超えたまったく新しい生命現象(宗教ではない!)が起きたのだ、と何度も語っているのだが、古いマインドはそれを理解することができない。だが、遺伝子工学をすこしでも理解できれば別に不自然はないのだ。神はまったく新しい霊的遺伝子工学を行ったのだ! マインドを変革されよ! ナチュラル・マインドを脱ぎ捨てよ! それはスーパーナチュラルな現象だから! 

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本日のプレイヤーMTG―ジーザスの血による結界

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聖霊のソフトかつ優しいタッチが満ちていた。セレブはパブリックな性格があり、実際公開しているわけで、ダイナミックな主のタッチを受ける。が、プレイヤーMTGは非公開、しかもきわめて親密な空間の中で、お互いの交わりもきわめてプライベート、またディープ。この違いは実に面白い。いつもはセレブに来ている方が、セレブのタッチとプレイヤーMTGのタッチが違いますねぇ、と感想を言われた。ものすごく清らかな柔らかなタッチを受けるとも・・・。

そしてつい先ほどメールをいただいた。この方は駅で通り魔的に襲われて、腕に肘鉄をくらい、直径5,6センチの青あざができてしまった。少なからず精神的にもショックも受けておられた。当然だ、いきなり見ず知らずの者から攻撃されたのだ。顔でなくて、守られた。あのめった刺しされたタレントもだが、最近、こういった輩が増えているようなのだ。それが先週の土曜日。日曜日にそのあざを見せていただき、イエスの血潮による結界を張る必要をお互いに確認した。

で、本日、特にその方のために祈ったわけではないが、感謝なことに、プレイヤーMTGの前までは疼いていた痛みが完全に消失したとのこと。Thank you, Jesus! まことに終わりの時代、あちらの霊は隙あらば、と狙っている。主の血潮による結界、血の線を明確に引いていただくこと。時代はそういう時代にはいったのだ。

分別深く、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。-1Peter 5:8

霊の世界はリアルなのだ。

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