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2015年10月

メディテーションは大脳を再構成する

悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。-Ps 1:1-3

ここの「思う」はmeditatingだ。マインドのパワーは神ご自身が証されている。人類がバベルの塔を企てたとき、彼らの思いめぐらすことは妨げられないと(Gen 11:6)。このビデオクリップは神経生理学者によるもの。メディテーションによって大脳のある領域のサイズが変化することの報告だ。つまりメディテーションは大脳を変化させる。大脳の特徴のひとつは可塑性にあるが、単なるメディテーションによってすらそれが可能であれば、いわんや神の言葉によるのであれば・・・。さあ、あなたもルーシーになろう!10%、20%、50%・・・と。そしてついにはこの肉体を脱ぐのだ!

追記:驚きました。この女性、やはり大脳生理学者。最近では人間が霊(Spirit)・魂(Soul)・体(Body)から構成されることは欧米の教界では常識になりつつあるが、霊に関して、直覚(Intuition)・交わり(Communion)・良心(Conscience)があると明確に提示している。明らかにウォッチマン・ニーの"The Spiritual Man"を読んでいる。私の『真理はあなたを自由にする』でもかなり詳細に触れた論点である。

参考:

-人間の聖書的啓示と現代精神科学
-霊の機能と魂・体の相互作用について相互作用について

健全なマインドの霊

日本語訳聖書の致命的欠陥は、日本語的世界で御言葉を解釈する点、これは何度も指摘している。たとえば、第二テモテ1章7節(2Tim 1:7)-

というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。

これらを読んでその意味が理解できるであろうか?対してKJVではこうある-

For God hath not given us the spirit of fear; but of power, and of love, and of a sound mind.

直訳すれば、健全な思いの霊だ。そこから派生して、自制とか慎みとなる。まず原義をとらえる必要がある。マインドが健全であること。これは世のスタンダードあるいは常識に従うことではない。神のみ言葉のスタンダードに従うこと。ゆえにパウロはこうも勧める-

そしてあなたがたは、この世と同じ姿かたちにされてはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって形作り直され・・・Rom 12:2(岩波訳)

私の新著でも強調したことであるが、マインドのリニューアルあるいはトランスフォーメーション。これができないゆえに、ニッポンキリスト教は病んでいるのだ。そもそも聖書は五感でとらえるものではないし、私たちの生きる領域も五感の領域ではない。シックスセンスの世界である。その世界に覚醒すること。これなくしては元筑波大教授の小田晋氏が言うとおり、イエスは妄想病患者であり、聖書も妄想の世界を描いていることになるのだ。むしろ小田氏の感じ方の方が真実である。

2015年も11月。私の新著も全国発売になる。すでにご感想をいくつかいただいているが、これまでほとんど誰もがまともに言ってこなかった内容であることは間違いないであろう。新生命体として、自分のアイデンティティー、スタンス、アビリティに

フェイス・アウェイクン!!!

無知の代価

TPPにより完全にアメリカの植民地とされる4回去勢されたわが国。先に人間牧場の到来として、アメリカが原爆を落とすとき、あえて講話を引き伸ばして実験場として二箇所に二種類の原爆を落としたとする私のドク論でお世話になった先生の証言を紹介した。今回、いつもの再建主義の富井氏がこのような資料を紹介している。CLIPしておこう。

国連憲章を作成した人々が原爆投下を決定した。

1945年5月、国連憲章を作成するためにサンフランシスコ市パレスホテルに集合した合衆 国代表団長ステティニアス、合衆国大統領及びソヴェトKGBの代理人首席補佐官アルジャー・ヒス、ウォール・ストリートの法律事務所サリバン・アンド・ク ロムウェルのジョン・フォスター・ダレス、W・アヴェリル・ハリマンの会話。


日本がすでに私的に講和に向けて動き始めていたが、これは米国にとって大きな問題であった。というのも、原爆の完成にはまだ数ヶ月が必要だったからだ。

ステティニアス:「我々は、すでにドイツを失った。もし日本が降伏してしまうと、原爆を試すための生ける実験台を失うことになる。」

アルジャー・ヒス:「しかし、国務長官。この兵器の恐るべき威力を認めない者は誰一人いないでしょう。」

ステティニアス:「たしかに。だが、我々の戦後の計画全体は、原爆によって世界を恐怖に陥れることができるかどうかにかかっている。」

ジョン・フォスター・ダレス:「この目的を達成するには、数字が必要だ。私は百万人(の犠牲者)が適当だと考える。」

ステティニアス:「そのとおり。我々は、百万人を希望する。しかし、もし彼らが降伏してしまうと、すべては台無しになる。」

ジョン・フォスター・ダレス:「だから、どうしても原爆が完成するまで戦争を引き伸ばさなければならない。」

ステティニアス:「心配はない。無条件降伏。日本人は受け入れないだろう。彼らは、天皇を守るために誓いを立てているから。」

ジョ ン・フォスター・ダレス:「まさにそのとおり。あと3ヶ月間日本に戦争を継続させるべきだ。そうすれば、諸都市に対して原爆を使用できる。我々は、この戦 争を、世界のすべての人々をむき出しの恐怖にさらした状態で終結させなければならない。そうすれば、彼らは、我々の意思に従うようになるだろう。」


トルーマンに原爆投下にゴー・サインを出させたバーナード・バルークは、戦後、国連原子力委員会の米国代表に任命され、核兵器廃絶のために活動し、核兵器の国際管理、査察、違反への罰則の制定を推進した。

(THE SECRET HISTORY OF THE ATOMIC BOMB WHY HIROSHIMA WAS DESTROYED)

http://www.whale.to/b/mullins8.html

富井氏は「無知は罪だ」と言われるが、まことにそのとおり。また「わが民は無知のゆえに滅びる」とも。神はすでに充分なる証言をいろいろなチャネルを通じて与えてくださっているのだから。聞く耳のある者は聞くがよい。

すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。-Rom 1:29-31

それゆえ、わが民は無知のために、とりこにせられ、その尊き者は飢えて死に、そのもろもろの民は、かわきによって衰えはてる。-Isa 5:13

交わりの領域

本日、プレイヤー・MTGの機会をもった。主の深いタッチにそれぞれが触れられた。そしていつも感動を覚えるのだが、関西からもある方がはるばる参加された。主日にも関西から来てくださった方、来週もまた関西から5名の方々が来てくださる。霊的な飢え渇きが起こされていることを覚えるのだ。飢え渇きがないと主もどうしようもない。まことに今飢えている人は幸いである。飽き足りるであろう・・・・。御言葉の飢饉の時代、人間的組織によらず、ただ聖霊によって御言葉を中心にこうした交わりが与えられることは実に感謝である。

TPPの真実、このビデオは必見

すでに手遅れではあるが・・・超長期的対日政策により4回去勢されたわが国。これがトドメだ。

死者の復活

これからの論証は、聖書は真実を記録しており、イエスは復活したことを信じている人に対するものである。そもそも聖書の真実性やキリストの復活を認めない人には無意味なものであると言っておく。そのような人々を折伏するつもりはもとよりないので、あらかじめ・・・。

死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。-1Cor 15:13

よく読んで欲しいが、ここで大切なのは、このパウロの命題の対偶を取ると、「キリストが復活したのであるから、死者の復活もある」となる。ARE YOU WITH ME? 

【注】命題「p⇒q」(「pならばq」と読む、英語では"p implies q":pはqを意味する)は、言い換えると、「『pであってqでない』ことはない」(たとえば、「雨が降るならば傘をさす」とは、「『雨が降っているのに傘をささない』ことはない」という意味)だ。記号では「¬(p∧¬q)」。一方対偶は「¬q⇒¬p」(qでないならばpではない)。言い換えると「¬(¬q∧¬(¬p))」すなわち、「¬(¬q∧p))」となり、元命題と同値。対偶は元命題の言い換えなのだ。

追記:ややこしいキリスト教神学などでマインドをかき回されないこと。ソロモンも言っている:

ただし見よ、見いだしたことがある。神は人間をまっすぐに造られたが人間は複雑な考え方をしたがる、ということ。-Eccl 7:29

マインドのパワー-ふたつの証-

昨日のセレブ後、二人の方の証を伺った。

Aさん-子供の頃から親などから、お前はアレルギー体質だから気をつけよと言われて育ち、つねにそれを意識してきた。幸いアレルギー反応は出ていなかった。ところが最近、あるきっかけで全身アレルギー反応が出て、呼吸困難まではいかなったが、救急車を呼ぼうかとさえ思った。原因がわからなかったが、ふと気がついたことがある。最近TVでアレルギーの解説を聞いて、何気にそれを受け入れ、無意識のうちにその内容に同意していたのだ。それを主の前で捨て去ったところ、反応は即座に消えた。

Bさん-家事をするときに手にアレルギー反応が出ることがよくあった。自分はそのような体質であると、自然とその事実を受け入れてきた。癒しを求めることすら考えなかった。最近、そのことに気がつき、家事をしているときに、ハッと騙されてきたことがわかった。そして自分は癒されたのがパッと見えた。すると反応は消失した。自分のアイデンティティーの一部としてそれに同意し、受け入れてきたことに気づき、マインドのロックが外れた瞬間がわかった。ああ、自分は欺かれていたのだ・・・・と。

これらの証を普通の医学的観点からは心因性アレルギー反応として診る。いわゆる精神身体医学的視点からの解釈である。が、これらをいかに解釈するにせよ、ふたりは自分が欺かれてきたことに気がつき、マインドのロックが外れると症状も消失したことは事実である。私も自分は花粉症であると30年近く信じ込んできた。それはごく自然なアレルギー体質として、自分のアイデンティティーの一部として構成されていたのだ。が、この3月、そのロックが外れた。事実はアレルギー体質かもしれない。が、真理は違う。十字架で主の打たれた傷により癒されたのだ。これはサブスタンス。永遠の、ある、だ。霊的サブスタンスは物質界と相互作用をする。否、物質界は神のレーマ、すなわち霊のバイブレーションによってフレーム化された(Heb 11:3)。それは弦、その神の言葉は響き。物理学でも超弦理論が唱えられる昨今、聖書はすでにそのことを指摘している(Ps 19:4)。

出エジプトの時代、モーセとエジプトのマジシャンたちは争った。彼らもしるし・不思議をなし得たのだ。霊的パワーの操作方法を知ると、それは現代でも起きる。たとえば、これらのビデオ。彼らは単なるトリックによるのか、それとも何か別の次元のパワーによるのか。最初の人物の目に注目して欲しい。

主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたをパロに対して神とする。あなたの兄弟アロンはあなたの預言者となるであろう。 ・・・」。モーセとアロンはそのように行った。すなわち主が彼らに命じられたように行った。彼らがパロと語った時、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。・・・それで、モーセとアロンはパロのところに行き、主の命じられたとおりにおこなった。すなわちアロンはそのつえを、パロとその家来たちの前に投げると、それはへびになった。そこでパロもまた知者と魔法使を召し寄せた。これらのエジプトの魔術師らもまた、その秘術をもって同じように行った。すなわち彼らは、おのおのそのつえを投げたが、それらはへびになった。しかし、アロンのつえは彼らのつえを、のみつくした。-Exo 7:1-12

どちらの側もフェイスによって行っている。ヘブル11章1節のフェイスの定義は定冠詞がない(Heb 11:1)。クリスチャンの信仰に限らないのだ。それはシックスセンス。この時空間、つまり五感を越える能力である。私もそうであったが、よくニッポンキリスト教で言われるセリフがある。サタンや悪霊もしるしや不思議や癒しをなし得るからそれらの現象については要注意だ。これ、実はしばしば言い訳というか弁明に用いられるのだ、自分の信仰の欠如の・・・。これは自分がそうであったゆえに証言できる。主は言われたであろう、「死者を生かし、病を癒し、悪霊を追い出し、らい病を清めよ!」と(Matt 10:8)。これは命令である。神の国のパワーを忘れた福音は単なる抜け殻。ましてやそれを神学で飾っても何の役に立たないであろう。自分の不信仰を悔い改める者は幸いである。

そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。 それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力(デュナミス)によるものとなるためであった。-1Cor 2:4-5

(注)霊が物質を動かしたりする現象をポルターガイスト現象と呼ぶ。欧米ではよく知られている。

主のツボを突く

さて、イエスはそこを出て、ツロとシドンとの地方へ行かれた。すると、そこへ、その地方出のカナンの女が出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。
しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。
するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。
しかし、女は近寄りイエスを拝して言った、「主よ、わたしをお助けください」。
イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。
そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。-Matt 15:21-28

メッセでも語ったが、主はこの女の言葉によって落ちたのだ。「あなたの願いどおりになるように」と。この時の主の内的感動に触れるならば、私たちもその霊のバイブレーションによって身体が文字通り震えるであろう。極私的には総毛立つ感覚を覚えるのだ。

TODAY'S CELEBRATION 【Oct 25, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトル長子の特権に与る

聖書箇所:申命記21:17;イザヤ61:17など

11月1日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700

WebKingdom Fellowship

YouTubeDr.Luke's KF_Channel

11月全国有名書店で発売

イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。

第一弾として紀伊国屋、丸善、三省堂など全国有名書店100店舗にて販売されますが、お近くの書店に置いてないか、あるいは売り切れの場合は、こちらの注文表(B5サイズ)をダウンロードして印刷していただき、書店にてご注文ください(リンクにカーソルをおいて右クリックで保存できます)。またAmazonでも取り扱います。

文芸社書籍紹介

倒錯しているオバマ

同性結婚を承認、WHを虹でライトアップしたオバマ。今回はイスラエルがイランの核施設を攻撃することを阻止するためにスパイを送り込み、空母も派遣していると・・・。

-Report: US Spied on Israel, Prepared to Destroy Israeli Bombers to Protect Iran

自らアメリカの世界の警察としての役割を終えたと宣言したオバマ。が、イスラエルをワッチする役目は・・・。完全に倒錯している。

わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、/あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、/あなたによって祝福される」。-Gen 12:2-3

改めて、信仰とは?

下において、信仰があれば癒されると書いた。が、これは厳密に言えば正確ではない。なぜか。信仰は願うことのサブスタンス、つまり癒しそのものなのだ。信仰が癒しの条件ではない。信仰そのものが癒し(サブスタンス)なのだ。これを新著において、江戸時代にタイムワープした20世紀の人が持つ抗生物質の喩えで説明した。この喩えで言えば、抗生物質が信仰のサブスタンス。それを飲む時(行いにより)、それは癒しを現実世界で立証する。

信仰を何か神からいただくための条件かのように捉えるならば、癒されないのは信仰がないと言うのか、といった発言になる。これは大いなる勘違いであり、自分の信仰を信仰とするトラップに落ちている。信仰は癒しのサブスタンスそのもの。そもそも救いのサブスタンスでもあり、義と聖と知恵と贖いと・・・すべての霊的真理のサブスタンスそのものなのだ。義とは私のあり方ではない!義とはキリスト。聖も知恵も贖いも、すべてはキリストだ。もっと言えば信仰とはキリストなのだ。

あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。-1Cor 1:30

繰り返すが、霊的真理は日本語で考えてはならない。フェイス・アウェイクン、すなわち信仰の覚醒のためには、まず日本語のマインド、そして日本語の世界を離脱せよ!

 

三島由紀夫の予言の成就

1970年11月25日、三島が腹を切った。当時中学の私は図書館の新聞でその凄惨な現場の写真を見てショックを受けた。自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーで決起を叫ぶも、自衛隊員からはヤジと罵声を浴び、諦めた彼は総監室に籠り、割腹。傷は深さ5cmにおよぶものだった。弟子の森田が介錯したが、三太刀でようやく首が離断。その後森田も切腹し、別の弟子が首を落とした。

なんだこれ!?当時は全く理解不能。その後、私も中学の真綿で首を絞められて窒息しそうな得体の知れない雰囲気に耐え切れず、「檄文」を書いて放送部に乗り込んで全校放送させたりもした。自分の文章がスピーカーから流れるのを何か他人事のように白けつつ聞いていた自分を覚えている。あの耐え難い窒息感は何だったのだろう?今、私の内に三島と共鳴する部分があることを感じているのだ。

このニッポン、究極の管理社会、主権国家たる実質を奪われ、唯々諾々と米の植民地と化しつつある。 三島がこう予言していた。

 日本はなくなって
 その代はりに、
 無機的な、からっぽな、ニュートラルな
 中間色の、富裕な、抜目がない、
 ある経済的大国が
 極東の一角に残るのであらう。

彼は身長も低い虚弱な身体にコンプレックスを感じ、ボディビルで隆々たるそれを得た。典型的ナルシスト。切腹は彼の究極のナルシシズムの表現だったのだろう。一節ではホモだったとも言われている。その筋肉こそが彼の生きる証であったのかもしれない。最期に味わった肉体の激痛。彼は死によって自分の生を確認したのだ。まことにフロイトのエロスとタナトスの体現ではあった。

今、彼の「檄文」を読むと、まことに時代を見透していたとわかる。これだけ見えてしまうともはや日常に埋没してヌクヌクと生きることはできない。それは日常の奴隷となること、むしろ彼にとっては屈辱であり恥辱であったのだ。戦後70年、この70という聖書的に重大な意味を持つ数字の年。ニッポンは自らの主権と誇りを捨てた。私もイエスとの邂逅がなければ、三島と同様の自己破滅へと進んでいたと思うのだ。今年も憂国祭が近い。

-三島由紀夫「檄文」

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