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ブログ・スクリプトをWord Pressにチェンジしました。明日(2017年3月10日)以降、このページは更新しません。新しいブログに移行します。

-DR.LUKE'S iDLE UTTERANCE(http://www.dr-luke.com/wp/)

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Entry

2015年07月

Derek Prince

この本は1996年に購入した私の愛読書の一冊。英国のDerek Princeによるもの。彼のティーチングはColin Urquhartと同様にブリティッシュに洗練されている。米国の人々とは一味も二味も違う。

ネットのうれしい点は、彼のメッセが直接聞けること。時間の合間をみて、読むよりは、できるだけ聞くことにしている。ひとつ紹介しておこう。

-Derek Prince - Invisible Barriers To Healing

 

Cool Down

ほぼゲラの校正に没入。頭がキンキンに加熱している。ただでさえ暑いのに・・・。

こんなときはプールだ。30分ほど泳ぎ、サウナ。その後、水風呂。この落差が実にカイカンだlaughing

 

アダムとエバの実在性

本のゲラの校正でほぼ時間を取られているところ。極私的には聖書に関心がある人にもスピ系の人にも面白いものができたと思っている。前にも書いたが、キリスト教関係書籍のコーナーは実に無味乾燥。スピリチュアルな要素がみな抜かれているためだ。オツムだけの世界。ちょうど肉汁が抜けて筋だらけのステーキみたいなもの。組織神学だとか、聖書の非神話化がどうのとか・・・。だから真に飢え乾いている人はスピ系に流れる。

さて、福音の本質はアダムとエバの存在。これが否定されるならば全聖書は崩壊する。ところが自称クリスチャンでも、創世記は神話であり、寓話的物語に過ぎないとするむきがある。進化論そのものでなくても、有神論的進化論とかを擁護する者もいる。彼らは自分の信仰の体系を自分で崩している。自己免疫疾患のようなものだ。だからいざという時に信仰を働かせることができない。当然だ。神の言葉を信じていないのだから。信仰は、証拠があろうとなかろうと、アダムとエバの存在を知っている。

私たちは信仰によってこの世界が神のレーマによってフレーム化されたことを知っている。-Heb 11:3

したがって本来サイエンスによって確証する必要などもない。が、信仰者と不信者との共通言語として、サイエンスを用いることには意味が有る。彼らは信仰という、一種のシックスセンスを有していないのだから、御言葉の真実性を認めようがない。盲目の人にいくら色彩を説明しても理解できないのと同様。彼らには点字などの媒体が必要なのだ。サイエンスでアダムとエバの実在性を証明できればそれに越したことはない。そこでこの記事を紹介しておこう。

-‘Science Supports Genesis’: Geneticist Says Evidence Confirms Biblical Adam and Eve

Answes in GenesisからDVDも出ているようだ。

-Samples

この欺瞞だらけの終わりの時代、自分が何をどう信じているのか、根底から確認しておく必要がある。さもないとあっと言う間に教えの風や自分の感情とオツムに吹き飛ばされることであろう。

 

TODAY'S CELEBRATION 【July 26, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトル自意識からの解放-リスクを取る

聖書箇所:エペソ4:23;マルコ9:24など

8月2日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700
 ・Web:Kingdom Fellowship
 ・Youtube:Dr.Luke Channel

תשעה באבの秘密

昨晩からユダヤ暦のTish'a B'Av、アブの月(政治歴11月)の9日。ユダヤ人の悲劇の歴史の刻印の日。で、その数秘術的意味は・・・。こういうのって、極私的にはけっこう好きだね。

-The Temples in Jerusalem & the Twin Towers Destroyed on the same "Numerological" Date

ニューエイジのリアリティー

リアリティーとは何か?

午前中はプールとサウナ、午後は映画。ジュリアン・ムーアの『アリスのままで』。言語学が専門の大学教師がADによって壊れていく過程の恐怖と家族の苦悩を描いた作品。最初は単語が思い出せない。次に自分がいる場所が分からない。家族のメンバーも間違える・・・・。渡辺謙の『明日の記憶』とモチーフは同じ。

魂は大脳と同期している。私は養老孟司の『唯脳論』のような一元論は採らない。魂と大脳は別の存在であり、魂がこの物理的時空間に関わる媒体として大脳を用いているのだ。ゆえにADの場合も、自分が壊れていくことが分かる。それは魂が大脳の状態を把握しているからだ。中でもマインドは霊と魂の接点。不思議なのは、たとえば数学的真理のひとつ

などは大脳のどこにどのような形で存在するのだろうか。プラトン的にはイデアとなるのだが・・・・。これなどは自然界の普遍定数が見事に一体となっていることを示しているわけで、ある種の三位一体を表現しているとも思えるのだ。ともあれ、マインドはこのように霊的真理、数学的真理、あるいは物理的法則や社会的道理を理解し、それに従って私たちはこの世界と関わっている。これが内的な世界モデルで、人々の最大公約数的な部分が世の中の常識と呼ばれるものであり、これから外れたり、歪んだりするといわゆる人格障害を生じる。

この内的な世界モデルが崩壊するのがいわゆる認知症だ。彼らの周囲の人も事物も物理的実在としては何も変わらない。が、彼らの内的世界モデルが崩壊していく。過去の記憶も含めて。通常は記憶の連続性を自分のアイデンティティーの縁としているため、記憶体系の崩壊はすなわち自分の崩壊を意味する。これは自分が消え去ることとも言え、患者本人にとっては恐怖であろう。

対して、クリスチャンの場合、新創造であり、そのアイデンティティーは記憶の連続性によらない。あるいはこれまで構築してきた内的な世界モデルにもよらない。私たちのアイデンティティーは聖書に書いてある。私たちの記憶も物理的時空間における時系列としてのものではなく、物理的時空間を超えた永遠の現在における"それ"である。それは神の目から見た新しい私と新しい私の記憶の体系だ。私たちのサブスタンスは世の始まる前から神の書に書かれている(Ps 139:17)。それがこの物理的時空間において時系列的に成就する過程が新生命体としての私たちの人生なのだ。そのデモンストレーションをイエスがすでになしてくださっている。ある意味でイエスの人生の追体験と言ってもよいだろう。

そのイエスの内的世界モデルはわれわれのものとは相当に異なっている。彼は永遠の現在にある神のサブスタンスがこの物理的時空間に現出された存在だ(Heb 1:3)。ゆえに宇宙人が地球に介入したのと同じ。価値観もパラダイムも内的世界モデルもまったく異なっている。彼の言動を人間的視点から評価したり、解釈してはならない。むしろわれわれのマインドが再構成される必要があることは何度も指摘している(Rom 12:2;Eph 4:23,原語は「思いの霊において新たにされ」)。私たちは、その意味で、この日本においては人格障害と言われても宜なるかなである。否、むしろそれが本当のクリスチャンのあり方なのだ。いわゆる常識などはわれわれにとっては障害となる。アーサー・ホーランドのようにあえて偽悪を演じるまでもなく、私たちのマインドがトランスフォーメーションされているならば、自然と日本社会からは浮くのだ!

私たちは通常、ガンに罹ることや、失業、離婚、近親者の死、事故や事件などを恐れている。そのために保険をかけ、いざという場合に備える。これが私たちの人生のパラダイムだ。が、イエスにとっては違う。新約聖書でイエスがもっとも頻繁に語った言葉は何か?それは「恐るな!」だった。同時に「信じよ」と。実際、イエスにとっては病気などはまったく障害にならなかった。欠乏もなかった。彼は魚の口から銀を得ることもできたし、パンを増やすことも自在だった。水をワインに変えたり、死者をすら生かした。彼はまさに最初のアダムに命じられた「地を支配せよ」をそのとおりに実行されたのだ。そして私たちも信じるならば同じことができると言われた。私たちにとっても地を支配すること、これはマストである。

しかしイエスが恐れたことがひとつだけあった。ゲッセマネの葛藤だ。彼は何を恐れ、何ゆえにあれほどに葛藤されたのか。十字架の酷い刑の苦痛?アブソリュートリー・ノー。彼はわれわれのために罪とされ、御父から切り離されることを恐れたのだ。あらゆることを父の語るとおり、またなさるとおりにしてきた彼にとって、父との交わりを絶たれることは致命的だったのだ。これが彼の内的世界モデルによる反応だった。昨日の記事とも関連するが、イエスを私たちの物差しで計ってはならない。あるいは私たちの世界モデルを投影してもならない。逆だ。彼の物差しと世界モデルを採用すべきなのだ。これがマインドのトランスフォーメーション。この時、私たちはキリストの感受性に従って、彼と同じわざをなす。奇跡や癒やしをなす鍵は何か。それはいわゆる聖霊派の求めるパワーではなく、イエスの感受性である。昨年、Dr.Kさんのホスト役で温泉オフ会をした祭、対談で私はそう語った。天の感受性が私たちのうちに再現されるならば、まさにイエスのしたこと、天の御旨を地に表すことができるようになるだろう、と。

私たちが真に人の目やガンや欠乏を恐れなくなり、むしろ父との関係を損なうことを恐れるようになるならば、すでに得ているキリストのマインドが私たちの魂のうちに展開する。キリストの感受性によってすべての事象に対応するようになる。この時こそ、イエスと同じわざ、否、それ以上のわざをなすであろう。神の国がタンジブルに地上にもたらされるのだ!

coming so far....

 

24歳も終わる頃、4年間付き合った百恵によく似た女性と別れた。渇いたオレのココロに寺尾聰の『リフレクション』の無機質な曲とタバコの苦さがしみた。あれからどんな人生を送っているのだろうか・・・

私はGKが3+1(coming...)だが・・・

当初ヘビには足があった

前後に足が残る原始的ヘビ=白亜紀の化石、ブラジルで発見

時事通信 7月24日(金)3時3分配信

 ブラジルの白亜紀初期(1億数千万年前)の地層から、頭骨や細長い胴体はヘビらしい形だが、前後に小さな足が残る原始的なヘビの化石が発見された。英ポーツマス大などの研究チームが新属新種に分類し、24日付の米科学誌サイエンスに発表した。  研究チームによると、過去に後ろ足が残る原始的なヘビの化石は見つかっているが、前後の足が残る化石の発見は初めてという。
 このヘビは学名が「テトラポドフィス・アンプレクトゥス」と名付けられた。体の長さは十数センチと小柄で、前後の足にはきちんと指があった。歩くには小さ過ぎることから、研究チームは獲物や交尾相手を捕まえるのに使ったとの見方を示した。
 ヘビはトカゲ類から進化して足がなくなったと考えられているが、その過程が水中だったか陸上だったかをめぐり、学説が分かれている。泳ぐのに適応したヘビは尾が平たいことが多いが、今回のヘビの化石はそうした特徴がなく、陸上で穴や岩の割れ目などを移動しやすいよう進化したと考えられるという。

さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。・・・
主なる神はへびに言われた、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。・・・」-Gen 3:1;14

ヘビが腹で這い歩くようにされたのは、この宣告の後だったのだ。

 

鏡像原理の罠

まずはこちらのクリップを見て欲しい。神による奇跡が医学的証拠に基づいて証されている。中にはオペで切除した3フィートの大腸が1年後に再生していたことを、奇跡だと外科医が証言している。外科医自身がオペ室でタンジブルな(手で触れる)臨在を感じたとも。

Pr. Donは言う、神の全能性は誰も信じているだろうが、神のWillingnessに対する信仰が欠如しているのだ、と。先の息子が悪霊に憑かれていた父親とも共通する。あるいは「お心でしたらきよめていただけるのですが・・・」と主に求めたらい病人のケースと同じだ(Matt 8:2)。この時、主は明確に言われた、"I Will"と。これが神の心なのだ。

しかし、しばしばわれわれはそのことに確信を持てないことがある。果たして主は自分の場合は、あるいはこの人の場合はどうだろうか・・・と。聖書には「イエスは昨日も、今日も、永遠に変わらない」と書いてあるにもかかわらずだ(Heb 13:8)。これはすなわち、自分の鏡像を見ているからにほかならない。自分の裁く秤で自分も裁かれることは霊的な初歩的原則。同じように、主の心を疑うときには、実は自分の心を見てしまっている。そう、自分にWillingnessが欠如しているのだ。

あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、清い者には、清い者となり、ひがんだ者には、ひがんだ者となられます。-Ps 18:25-26

もちろん神ご自身が「ひがんだ方(あるいは曲がった方)」になるのではない。人は自分の鏡像を神の内に見ているのだ。よく、今日、神は癒しはなさらないとか、癒しとかしるし・不思議などは浅薄なものとかする向きがある。それを投影して見ているのだ。だから信仰を使うことができない。世の人がよく言うセリフ、「信じたくらいで楽になれれば苦労はない!」も同じ。だから彼らは救われないのだ。もっと言えば、彼らは自分を神としている!彼らに尋ねたい、あなたは何をもっとも重要視し、何を求めているのか?と。

神は病んだ人にはあわれみ(同情ではない!)を覚えるお方。あわれみはその人をその状態から引き出す。イエスのあわれみは常にわれわれを神の国にふさわしくないモノや状態から解放するのだ。もし、それが信じられないのであれば、神に問題があるのではなく、あなたそして私の心にあることを知るべきなのだ。神は常に"I AM"にして"I WILL"なる方なのだから。

聖書の神は3人の神々

再建主義の富井氏いわく-

3つの位格があるということは、3人の神がいらっしゃると同義です。

夫婦は、神の三位一体の似姿です。

夫も妻も一人の人間です。

しかし、結婚契約によって一体となり、一人として存在する。

似姿の本体である3人の神も契約によって一体となっている。

うーむ。これが古事記の造化三神(天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)につながるわけか・・・。

 

主のプレジャーとは?

午前はプールとサウナ。体の鍛錬も多少の益があるわけだ。今、眠っていた蔵書を読み直しているが、ニーはやはり格別。

そこで、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのか」と尋ねられると、父親は答えた、「幼い時からです。 霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。 イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。-Mark 9:21-23

この場面について、ウォッチマン・ニーはこう説いている("Ye SEARCH the SCRIPTURES",pp.67-68, CFP, 1974):

 父親の心は生半可な状態だった。主に近づいたものの、主を真に信じてはいなかったのだ。この父親の言葉は主の厳しい叱責を受けた。
 私たちの主は人々が些細な要求をご自身にすることを好まれない。主は、人々が主になして下さるかどうかを尋ねること、あるいは主よ、あなたはなすべきです、と要求することはなんら意に介されない。しかし、この場面での父親の姿勢は、あなたにできるならばよいが、できなくても仕方ない、あなたのお弟子さんはできなかったのだから、あなたにできなくても当然だ、というものだった。
 この姿勢に対して主は怒られ、なおもできればと言うのか、信じる者には何でもできる!と叱責された。この言葉を聞いて父親はただちに涙とともに叫んだ、「信じます!不信仰な私を助けてください」と。叱責と過ちの指摘を受けて、彼は主に立ち返った。
 今や、彼は主を信じた。こうしてすべての責任を主に置いたのだ。なんと美しいシーンであろう!人の要求が大きければ大きいほど、主は幸福なのだ。要求が小さければ小さいほど、主は不満足を覚えられる。このような主の感受性に対して私たちは敏感であるべきだ。こうして福音書全体が主の栄光に満ちていることを知ることができる。

主を喜ばせる鍵は何か?すべての責任を主に置き、大きな求めをすることだ。私は信じました。主よ、今や、あなたがなさる番です、と!それは宗教ではない。

Thinking BIG,

Asking BIG,

Putting EVERYTHING on HIM,

then BELIVING IN HIM!!!

It's HIS PLEASURE!!!

GLORY BE TO GOD!!!

-Derek Prince - Invisible Barriers To Healing

信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神が「ある」こと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。-Heb 11:6

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