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Category: 異見

無限ループの愚かさ

 

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まことにどこぞの業界だ。

マイワールド生きた劉備

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ついに劉備が死んだ。関羽と張飛の死を呉の孫権のためとし、諸葛亮の進言にも耳を貸さず、70万の大軍をもって呉に攻め入る。動機は復讐。この時点で天は劉備を見放していた。彼の真の敵は曹魏だったのだ。そして己の心。

初戦は順調であるが、それが劉備の慢心を起こし、呉の陸遜の見立てどおりに、森の中に駐留して、火攻めを受けて壊滅(夷陵の戦)。兵法の定石を無視した結 果。動機が彼の心の目を盲目にしたのだ。かくして趙雲らにより救出され白帝城に逃げるが、そこで病死する。享年63(223年)。

劉備は漢室の末裔ゆえ『演義』では英雄扱い。だが、その忠義によるマイワールドに生きる資質ゆえ、全体が見えない。遺言もそのマイワールドに影響されるものであり、国家を治める皇帝としては相応しくないと言われている。

彼は己のマトリックスの中で生きていた。そのマトリックスに共鳴というより、絡め取られる形で人材が集まったのだ。ゆえに逸材が多かったのに、イマイチ能力を発揮しつくすことができなかった。また漢という亡霊に拘ったことも彼の脳内リアリティのゆえである。

曹操はかつてこう言った:敵に怒ってはならん、モノが見えなくなる。敵を恨んではならん、判断が狂う。対する劉備は結局のところマイワールドにあって生き、その中において没するのだった。

ちなみに白帝城にまつわる李白の有名な詩:

朝(あした)に辞す白帝彩雲の間
千里の江陵一日にして還(かえ)る
両岸の猿声啼いて住(や)まざるに
軽舟已(すで)に過ぐ万重の山

人生、リライフ

昨日のメッセでも触れたが、矢沢。イイね♪ この満ち足りた顔、熟男(ウレダン)はこうありたい。なぜか、こういう顔は牧師にはいないのだ・・・。

腹をくくる時代

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ニッポンキリスト教で「リバイバル!リバイバル!」って叫んでる連中は何かとんでもなく勘違いしていると思う。使徒行伝を見てみると、キーワードは「騒乱・混乱」。

17:6 世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。

24:5 さて、この男は、疫病のような人間で、世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起している者であり、また、ナザレ人らの異端のかしらであります。

世を騒がし、騒乱を引き起こし、「疫病のような人間」、「異端のかしら」と言われる覚悟があるかどうか。今の状態は「あなたの街のお気軽な教会♪」とかって、去勢されて世に媚びてるわけでして。ヒューマニズムの砂糖まぶし、そろそろそれも見透かされているのだが・・・。

バビロンの奴隷システム

この国の為政者は日本や国民の利益ではなく、"誰かさん"の顔色を見てるわけ。<開国=政治的去勢>、<敗戦=軍事的去勢>、<バブル崩壊=経済的去勢>、<原発事故=倫理的去勢>と4回も去勢され、エディプス葛藤を克服できなかったこの国はもはや自立はできない。

すでに内部的にも社会のメルトダウンも起きているから、独裁者に頼って、お世話してもらうモードに入っている。その象徴が生保受給者数。戦後最大となっている(220万人!)。サブコンシャスのレベルでは大衆自身が独裁者を求めているのだ。

繰り返すが、独裁やファシズムは決してトップダウンで押し付けられるものではない。大衆からボトムアップするのだ。ワイマール憲法下でドイツ国民は自らヒトラーを歓迎したのだ。そして気がつくと自分の口が塞がれ、手も足も拘束されている。下手すると粛清される。これがバビロンの奴隷管理システム。

まことにソロモンの言葉、「今あることはかつてもあった、日の下に新しいことは何もない」は至言。人類の本質は2、3千年前と何ら変わっていない。目先のテクノロジーに騙されているだけ。むしろ無感覚になり、アホになっていく(霊的退化現象)。近いうち指原ナントカが国会議員になるであろう。かくして歴史はある周期で同じことを繰り返しつつ、らせん状に降下していくのだ。

ファシズムの足音がする

ファイスティング中だが、GYMのプールで軽く流してきた。67キロ台に突入。体脂肪率も10%台半ば。

今回、時代は大きくカーブを切った。終末の様相は2010年くらいから顕著に深まってきているが、世もバビロン化の傾向が強くなっている。非正規雇用が 40%を超え、若者も結婚して子供を作れればセレブと言われる時代。時間と体力をカネと交換するだけの労働。働くことに喜びがなくなりつつあるわけ。

今の資本主義経済のシステムは表向き自由と平等の仮面をかぶっているが、本質は奴隷システムなのだ。それははるか古のバビロン時代に確立されている。為政 者がいかに人民をコントロールするか、そのテクはそのまま継承されている。人類はそんなに進歩していないし、否、むしろ退化している。目に見えるテクで騙 されているだけ。

マインドコントロールの初歩は、サジェスチョン。そんなことしてると食えなくなるから・・・と。すると人は大脳辺縁系が反射的に恐れをいただき、あえて抵 抗することなく自動的に従うようになるのだ。ここに働くメカニズムが認知的不協和最小化の法則。違和感や恐れや不安を、自分のマインド(主義・主張・感性 など)を自分で変えて最小化する心理規制である。

ニッポン人は特に埋没型アインデンティティの民族なので、「浮く」ことを恐れる。そこでいわゆる同調性バイアスが大いに働くのだ。自分が異質であること、 組織や集団からはみ出ることを極端に恐れる。これは大脳生理学的にも日本人の大脳は恐れを抱きやすいことが証明されている。まあ、いわゆる「和を以て貴し となす」メンタリティーだ。これが日本型組織の根底に潜む。世の中もいわゆるキリスト教界も。

バビロンのシステムは認知的不協和最小化と同一性バイアスにより、自然と権力やカネを持つ者、つまり自分の生存を担保してくれそうな対象に合わせるのだ。 つまり、すり寄る。これが卑しさを生む。このときに自分の真の心を置き忘れ、自ら自己疎外を行って、うつ病などにも陥るわけ。自分の本当の心に忠実である か、それともそれを偽りつつ、組織や誰かに合わせていないのか。バビロンのシステムはそのようなチェックをすら人にさせない無言の圧力を加える。それが奴 隷メンタリティだ。

かくして今のニッポン、閉塞感から窒息感へと至り、モノが言えず、いわゆる三猿現象が顕著になりつつある。これは社会学的にはファシズムへの道。が、ファ シズムは決して上から一方的に強制されるものではないのだ。大衆が自らそれを選び、自らそれに屈して、自ら合わせていく。ワイマール憲法下でナチが行った 手法を見れば明らか。ナチはすべてを合法的に行ったのだ。モノを考えず、モノを言わず、モノを見ず、ただ粛々と日銭稼ぎし、娯楽で刹那的カタルシスする大 衆を作ること、これが為政者、その背後にいるあの者の意図なのだ。こうして自分に膝を屈めさせる。これこそが究極の偶像礼拝であり、まことの神に対する反 逆である。

今、時代は相当に煮詰まっている。クロックの進みが予想以上に速い・・・。ニッポン、あまりにもナイーブ過ぎる。聖書を知らないことは致命的だ。否応なく、そう、感じざるを得ない昨今ではある。

ピリポのごとく・・・

主客一体-道元とJill博士

長沙岑禅師にある僧問ふ、いかにしてか山河大地を転じて自己に帰せしめん。師いはく、いかにして自己を山河大地に帰せしめん。いまの道取は、自己のおのづから自己にてある、自己たとひ山河大地といふとも、さらに所帰に罣礙すべきにあらず。-道元『正法眼蔵-渓声山色』

(注:道取=発言;所帰=主客分離;罣礙=妨げ)

山河大地は自分に帰するのか、自分が山河大地に帰するのか。たしかに自分は自分であるが、そのような帰する側と帰される側に分かれるといった主客分離に妨げられるべきではないのだ。

先のJill博士のサンサーラ(輪廻)から解かれたニルバーナ(涅槃)の境地だ。輪廻とは善と悪の二元論的あり方、ニルバーナはそれからの解放だ。要するに煩悩は自分が善と悪、生と死を判断することから生まれる。山河大地は私たちの善と悪の判断とは関係なく存在する。自分と山河大地を分離して判断するとき悩みが生じるわけ。それは生死を越えた境涯だ。もともと仏教には礼拝対象などはない。神はなく、仏とは悟った人に過ぎない。仏教は徹底した実在論と認識論の体系である。

自分が作り上げた幻想をリアリティと思い込み、それを通して世界を、また神を見てあれこれ判断する心の姿勢、これが罪なのだ。自分を神としてしまっていることに気がついていないことが致命的。聖書では「善と悪を知ること」が罪である。それは自分を自分のリアリティの中に閉じ込める。あり得るとか得ないとか、まともだとかまともでないとか、神のスーパーナチュラルな介入をも排除して。神はわれわれの善悪の世界には住まわれない。主と客が渾然一体となった境地、そこはただ宇宙的なエネルギーに満ち溢れた世界である。すなわちデュナミスのリアリティの中に生きること。

神の国はロゴスのうちにではなく、デュナミスのうちにある。-1Cor 4:20

-『正法眼蔵』関連の過去ログ

クリスチャニティとニューエイジ

David Ickeなる人物を知っている人はけっこう多いと思う。英国人、サッカー選手に憧れるもリューマチで挫折。その後BBCキャスターとして活躍するが、原稿を読まされるだけの仕事に飽き飽き。緑の党の広告塔となり、BBCを解雇され、90年代の初期に霊的覚醒を経験。世界を巡る間に爬虫類伝説が各地にあることに気づき、世界のエシュタブリッシュメントはスメールの子孫である爬虫類人類(レプタリアン)であると指摘。彼らがいわゆるシェイプシフトする動画などもYouTubeにはころがっている。日本では大田龍氏と親交が深かった。一時は故小石泉牧師とも交流があった模様。

彼の論はきわめて興味深い。いわく、人間とは意識であり、それは孤立してものではなく、大海の一滴のようにすべての人類の意識とひとつである(ONENESS)。この大海の意識はさらに高次元の霊的なエンティティとつながっている。ところがこの肉体の中に閉じ込められている間に五感によって作られた偽りのリアリティーのカプセルの中に束縛されている。人は恐れによって自分の中に閉じ篭っているのだ。それが場を作り、そこにはある種のエネルギーが存在する。それを生み出すのが爬虫類脳、つまり私の言うところの大脳辺縁系だ。ここを刺激されると人間は弱くされる。自己保存するための闘争が世では繰り広げられているが、それはこの爬虫類脳を刺激されて、マニュピレートされた結果だ。彼はここでマニュピレートする存在をイルミナティとかメーソンと言うわけ。

レプテリアンが存在するかどうかはわからないが、これはきわめて面白い。ある意味私が指摘しているとおりなのだ。人は欺かれている。大脳辺縁系を刺激され、恐れや情欲によって振り回されているのだ。内的な世界モデルは自分の内面を投影したものであり、よって人により世界をどう把握するかはテンデンバラバラ。一応その最大公約数的な部分は常識とされるわけだが、この常識というやつが危ない。特にニッポンのものはやばい。さらに危ないのがニッポンキリスト教のそれだ。自分の作り上げたそのカプセルに閉じ篭って生きているのが目覚めていない大衆。彼らはマスメディアなどにより容易にMCされている。

ただし、Ickeはニューエイジ(注)。彼はイエスをも陰謀によって創作された"神"の幻想であるとする。繰り返すが、ニューエイジは聖書のパクリ。サタンは独創性はない。ゆえに神を真似るだけ。「引き寄せのj法則」とか「願望物質化の法則」などはその最たる例だ。われわれがある種の霊的なオーラを発していることは明らか。真に御霊に満たされているクリスチャンの醸す雰囲気は普通とは異なる。その霊的な場に引き寄せられることは当然。イエスも多くの、特に虐げられた人々を吸引した。また私たちのマインドには想像する力があることはバベルの塔の件で神が証言している。彼らが思い巡らすことは妨げられることはないと。そして言葉にもその力があることは何度も書いている。

われわれはこの物理的世界と霊的世界の狭間に生きている。神と悪魔と人は三角関係のダイナミックスに置かれている。諸霊の影響を受けているのが世の中の人々、そしてオツムだけのキリスト教徒だ。彼らは霊の世界、あるいは霊の場を知らない。その場の振動(波動)がこの物理的世界に現出するのだ。中東情勢も、個人の経験も、みな原則はひとつ。われわれの信仰による言葉はその霊の場に波動を起こす。信仰によって霊の場の波動、すなわちサブスタンスをこの世界に現出させる。イエスは内にいます父の言葉をご自身の霊の波動としてとらえ、それを語り出された。これが死者を生かし、水をワインに変え、癒しやしるし・不思議をなしたのだ。物質界も場の波動であり、霊的世界も場の波動。そのふたつの領域を結ぶのがわれわれの言葉だ。内なる霊の波動による言葉を語り出すとき、それは何かを生じる。

Ickeも言っている、マインドのトランスフォーメーションこそが鍵だ、と。目の前の世界、現象を変えるのではなく、自分の内が変われば自ずと世界も変わると。まことにそのとおり。小さな自分というカプセルから飛び出せ!船から水面に一歩を踏み出したペテロのように。神のレーマがあれば水面も固体化するのだ!

神の語りだされた言葉(レーマ)には不可能はない。-Luke 1:37

参考:

-Truth About Consciousness and Spirituality: David Icke Part 1

-Truth About Consciousness and Spirituality Part 2

(注)Icke自身はニューエイジは逃避的であるとしている。つまり自身がニューエイジとの自覚はないようだ。

 

オバマとトーラコード

オバマがモスレムであり、反イスラエルであることはすでに明確。私は2008年からオバマはやばいと書いてきているが、正体を露にした。彼はなんと、イスラエルがイランを叩くならば、イランを援護するとまで言っている。

トーラコード(聖書の暗号)については賛否があり、聖書のこんな使い方が許されるのかどうか、私もペンディングしているが、一応フォローをしている。そこで今回、これを紹介しておこう。

-Bible/Torah Codes Reveal Obama and Coming of Messiah

ただし、判断するのは、あなた自身ですcool そこんとこヨロシク!

キ○ガイに刃物

安倍さんがなんとなくやばそうだと感じる昨今ではある。が、小生は、かつてから言っているとおり、憲法9条は改正し、自衛隊ではなく、防衛軍にせよと思っている。国家が主権、国民、領域、そしてそれらを担保する防衛力を有するのは当たり前。この国の自己欺瞞の象徴である。そもそも前文は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と明記してある。各国の公正と信義に信頼ができるわけ?(注)

自分が刃物を持っていると他者を傷つけるのではないかと勝手に恐れる人がいる。強迫神経症の一種、加害念慮と言う。しかし自分が刃物を持たなければ、他者は自分に傷をつけないとするのは幻想。この国は、要するに病んでいるのだ。アメリカもこんな憲法を70年間も変えなかったことがむしろ不思議。これはニッポン人を飼い慣らすためのもの。今、安倍さんがやろうとしていることは、別に安倍さん自身の考えではない。アメリカの御意向なのだ。国会あたりではこの暑さの中でオツムがオーバヒートしそうな我が国。

誰も戦争等は嫌にきまっている。だが、家庭にも何かの防具はあるであろう。わが家にも箱根の温泉街で買ってきた木刀が一振りある。バルコニーで富士山を見ながら素振りしている。ないとか言う人も、鍵はかけるでしょうに・・・。それが人間界の真実なのだ。その真実を認めることからすべては始まるのだ。

(注)論理学によると、「p⇒q」とは「¬(pかつ¬q)」のこと。「『pであってqでない』ことはない」。例えば「雨が降る⇒傘をさす」とは、「『雨がふっているのに傘をささない』ことはない」だ。この真理表は次のとおり。

p q ¬q p∧¬q p⇒q
× ×
× ×
× × ×
× × ×

 つまり前提条件pが偽なる場合はqがどうであれ、結果は真となる。例えば、子供に対して、「大学に受かったら100万円あげる」と約束した。受かってもあげなければ、嘘になるが、落ちた場合はどちらでもいいわけ。ゆえに、各国の良心に信頼できなくても、問題はないとなるのだ。これが形式論理の世界だが、憲法は実質論理で展開されるべきであろう・・・。素人の素朴な疑問。

参考:日本人とユダヤ人の自我構造の類似性と相違性

תשעה באבの秘密

昨晩からユダヤ暦のTish'a B'Av、アブの月(政治歴11月)の9日。ユダヤ人の悲劇の歴史の刻印の日。で、その数秘術的意味は・・・。こういうのって、極私的にはけっこう好きだね。

-The Temples in Jerusalem & the Twin Towers Destroyed on the same "Numerological" Date

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