カインの霊との決別
- 2015/06/15 15:43
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:カイン, アベル, セツ
カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。 ・・・カインは町を建て、その町の名をその子の名にしたがって、エノクと名づけた。 ・・・アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。・・・その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった。 チラもまたトバルカインを産んだ。彼は青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者となった。-Gen 4:16-22
カインはアベルを殺して後、エデンの東に追放された。額にしるしを付けられて。自分自身は町を造り、子孫は家畜飼育(=食物維持)、琴や笛の奏者(=娯楽享楽)、聖堂や鉄の精錬(=科学技術)の祖となった。
かねてから私はここで、現代はカインの霊とアベルの霊の相克の時代と言っている。神に拒絶された者と受容された者の間の葛藤だ。で、自分自身はアベルに着くものと思っていた。が、今回、聖霊により明らかにされたことがある。私はカインの霊の影響下にいたと。
すなわち、私はいわゆるサイエンティストとしてのプライドにより、メッセでも語っていたが、病気になったら祈る前に病院で検査してもらえ、のスタンスだった。これは完全にトバルカインの霊による発言だ。もっと言えば偶像礼拝。恐るべき罪だ。今回、私はこの発言を撤回、主の前に悔い改め、血による洗いを受ける。まず、祈りからだ。その後、神の癒しを受けるか、一般恩恵としての医学の力を借りるかは個人の自由だ(信仰による)。
十字架以外に自分が誇るところ、自分のアイデンティティーの置き所には信仰は働かない。だから、かつての私は祈りによる癒しを経験できなかった。その領域を支配する霊は聖霊ではないからだ。ここに主の名と血潮に基づいて、自分の知性の誇り高ぶりを打ち砕き、悔い改めることを宣言する(2Cor 10:4-5)。
私はアベルの道、それを継承するセツの道を行くことを願う。セツとは「備え」の意味。すなわちあらゆる神の備えによって生きる道だ。神の救いの計画はセツ系の子孫からイエスへと至るのだから。