神の霊のバイブレーションに浸る
- 2015/12/22 08:33
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:フェイスの覚醒, 霊のバイブレーション, レーマ, サブスタンス
30年近く走っているこの森。今朝、ふと新しい小径を発見した。いつも見ていた。が、見ていなかったのだ。これが大脳の不思議。リアリティーはまことにブレインが作り出すもの。シーザーは、人は見たいことを見て、聞きたいことを聞くと指摘したが(認知の選択的透過性)、聖書も同じ。われわれは理解している、知っていると思い込んでいるが、実はまったく理解してもいないし、知ってもいない。 鍵は見ること。見たらやばいのだ、この本は。五感で読むな。この物理的世界に引きずり下ろすな。決して魂によっては理解できない。たとえば、私たちのいのちはキリストとともに神のうちに隠されている。これ、どういうこと?マジでわかれば、やばい。霊のことは霊によって解く。
今朝、またマインドのロックが外れた。すると神の声が実に明瞭に聞こえるのだ。それは波動。バイブレーション。
天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。 昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。 話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。-Ps 19:2-5
この「響き」の原語は”qav"、その意味は弦。つまりバイブレーション。この神のバイブレーションに私たちの霊が共鳴するとき、昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送るのだ。この「知識」はいわゆるオツムの知識ではない。神の創造は互いにバイブレーションを放ち、互いに共鳴しつつ、そこにことばと知識の交換が行われている。私たちの霊もその共鳴に参加することができるのだ。しかしこの世の喧騒に巻き込まれたり、目の前の事象にのめり込むとその共鳴は消える。
霊が研ぎ澄まされて、その微妙にして玄妙な霊の波動、バイブレーションを受けるならば、それはレーマとして私たちの霊に焼き付けられ、マインドがそれを解釈し、語り出す。するとそれはいずれ実体化される。ちょうどマインドはカメラのシャッターのようなもの、霊はレンズ、そして私たちの心はフィルムだ。先に病気の症状や問題の解決策を求めるのは罠。これでもがくクルシチャンたちが実に多い。が、マインドのシャッターが開けるとき、光が差し込み、レベレーションを受けるならばすべての病気や問題は解かれる。それがフェイス。サブスタンスだ。
フェイスがあればすべてのことは可能。なぜ、フェイスはサブスタンスそのものだから。そのサブスタンスをもたらす神のレーマに不可能はない。神のレーマにわれわれの霊がどれだけ共鳴することができるか、ここにすべての秘訣がある。