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ことばとフェイス

語り出された言葉、レーマはフェイスそのもの。フェイスは私が努力して信じます、信じます、とやることではない。神の声を聞いたら、それが即フェイス。内なる霊に共鳴する神の霊のバイブレーションが魂のマインドにおいて言語化あるいは映像化される。すると心にそれが焼き付けられる。その時点で、体に症状があろうと、目の前にまだカネがなかろうと、問題がそのままであろうと、すでに得たと分かる。すると不思議なほどに笑いがこみ上げるのだ。

繰り返すが、ちょうど宝くじの当選券を持っているようなもの。霊的領域のサブスタンスは真理(Truth)、この五感の世界の現象は事実(Facts)。私たちは事実を取り扱うのではない。真理を、今、ここに、下ろすのだ。どうやって?語り出すこと。ことばにはリアリティーを作り出すパワーがある。ポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ。take dominion! ねじ伏せても事実を真理に従わせること。

先に紹介した末期ガンのご婦人は、その後糖尿病も、白内障も癒されてしまった。それに関与した私自身がほんとかな?と感じているほど、あっけに取られているのがホンネ。特養に入っておられた車椅子の認知症のご婦人が立ち上がり、家族の名前と顔が分かるようになったばかりか、不義理を謝ったと、そして他の入所者のお世話まで始めたと・・・アンビリーバボ。共に断食祈祷や徹夜祈祷をしたわけでもない。何気に語っただけ。

神のバイブレーションに共振して私たちの口から語り出されたことばは神のことばそのもの。人なるイエスは同じメカニズムでわざをなされた。彼の語ったことばは父のロゴス、彼のわざは父のわざ。ゆえに私たちもイエスと全く同じわざ、さらにそれ以上のわざをなし得るのだ。根拠は、イエスが父の元に行かれるから。私たちが霊的に形成されているとか、難行苦行しているとか、素晴らしい人格を持っているとか、一切関係ない!それはイエスのあり方に基づくこと。この意味ですべてはスーパーナチュラル。しかもそれはフェイスに生きるわれわれにとってはナチュラル。癒しも奇跡も全ては当たり前のことなのだ。

鍵は、フェイスの覚醒。私たちは自分が「信仰」と思っていたことが実はフェイスではないことに気がつく時が来る。フェイスって何?この疑問に立ち至った人は、実は幸い。今、ここで、永遠のNOWが切り込んでくる経験。フェイス!WOW!

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