内的レボリューション-境界線からの解放
2016年、動乱の年との幻を得たことは昨年書いた。まことに火山、マーケット、地政学的状況、あらゆる領域において揺るがされている。
まことに、万軍の主はこう言われる。わたしは、間もなくもう一度天と地を、海と陸地を揺り動かす。-Hag 2:6
各人は自分の内的パラダイム、あるいは世界観に従って生きている。が、それは五感の情報に基づいて、自分のマインドが作り出したものにすぎない。各人が持っている"リアリティー"なるものは、ブレインが生み出したもの。つまり幻想、フェイクなのだ。思想や哲学はもとより、サイエンスにしても、それは自然の像にすぎない。絵かきは絵画なる媒体によって自然を記述するが、サイエンスでは数式によって表現する。表現メディアの相違にすぎない。ヴィットゲンシュタインは、言語は世界の像だといったが、そのとおり。数学も言語なのだ。
かくして善悪を知る知識の木の実を食べて以来、これまで人類が自らの五感とマインドを駆使して構築してきた世界のパラダイム、映像が、今日次々に崩壊しているのだ。多くの人びとが揺るがされるであろう。何を当てにして生きて良いのか混乱するだろう。自分の依って立つ存在がメルトダウンする時代。いかにこの時代をサバイバルするのか?明確に言うが、スーパーナチュラルな生き方がマストの時代なのだ。五感やマインドによる生き方はもはや無理なのだ。スーパーナチュラルな生き方ってなに?・・・もちろんフェイスだ。あえて言うが、日本語の信仰ではない。日本語の世界観、パラダイムがフェイスを阻害する。日本語で考えるな、理解するな、わかったツモリになるな。
フェイス、つまりピスティスに覚醒せよ、そしてそれを使え!使徒信条を告白していれば大丈夫的な人々は振い落とされるだろう。数年前から言っているとおり、ふるい分けの時代なのだ。フェイスってなに?
フェイス(定冠詞なし)とは望むことのサブスタンス、見えない事柄の立証である。-Heb 11:1
聖書はちゃんと定義してくれている!勝手な"信仰"の道を歩む者は失望するだろう。言っておくが、それはフェイスではないから!フェイスによる世界観、パラダイムを再構築される必要があるのだ。それは内的なレボリューション。すべての事柄は心から生まれる。
Keep thy heart with all diligence; for out of it are the issues of life. -Prov 4:23
この"issue"と訳されたヘブル語の意味は出口とか境界線の意味。私たちが世界観を構築する作業は境界線を設けることによる。もっとも基本となるのは自己と他者の境界線。内的パラダイムもこの境界線に基づいているのだが、これを引き直す必要があるのだ。否、フェイスにおいては境界線などはない!フェイスはすべてを一瞬で、つまり時空を超えて把握する。霊的領域のサブスタンスを瞬時に見るのだ。あなたが自分で境界線を引けば、あなたの経験をその領域に閉じ込めるだけ。それ以上には飛躍できない。フェイスは境界線を引く必要などはない!なぜ?それは神の領域の現象だから!繰り返すが、
フェイスに覚醒せよ、そしてそれを使え!
注:人はなぜ境界線を設けるのか。それは自己防衛のため。自分が期待し得る領域にあらかじめ線引きして(保守的な予算を立てるようなもの)、失望を感じたくないから、あるいは傷を受けないためだ。要するに恐れの霊、臆病の霊のなせるわざなのだ。フェイスに境界線はない!けだし、信じる者にはすべてが可能である!