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神学は精神病理の反映

私のような精神医学をやったものからみると、神学なるものはそれを唱えた人の病理性の表現と思われるわけ。ちなみにフォイエルバッハも「神学は人間学だ」と言ったそうだが・・・。

例えばカルバン。いわゆるTURIPで有名だが、彼は自分の批判者や反対者をことごとく粛清した。その方法も火あぶり。しかも、苦痛を長引かせるためにとろ火で焼いた。彼などは典型的なサディズム傾向を帯びている。

また例えば、ウエスレー。彼はいわゆる聖化なるものを強調したが、典型的な強迫性性向の持ち主。完全癖で、ねばならない思考の持ち主。ルターもややこの傾 向がある。サディズムも強迫傾向も実は肛門期へのリビドーの固着による肛門性格の二面性の反映。肛門加虐性と被虐性だ。前者はいわゆるサディズム、後者は マゾヒズムや強迫神経症などを誘発する。

かくして魔女狩りとか、異端審問とか、いわゆるキリスト教の歴史はかなりグロイ。が、それは人間が歴史の中で組織したキリスト教の世界のオナハシに過ぎな い。ジーザスとは関係ないし、まして聖書とは関係ない。人がジーザスの名を用い、また聖書を利用しただけだ。ジーザスはキリスト教の教祖でもなければ、聖 書もキリスト教の経典でもない。

そもとも霊的世界と関わることは宗教ではないのだ。それを宗教に落としたのがキリスト教。私自身もキリスト教徒なるアイデンティティーの意識はないし、むしろキリスト教なる宗教は大キライというところがホンネ。それは所詮五感の領域で組織された宗教体系に過ぎない。

自然科学者としては、現在のサイエンスはあくまでも五感の領域を対象としているだけで、神や霊の世界があるともないとも結論することはそもそもしない。神 とサイエンスが対立すると考えるのは素人だ。近代サイエンスの祖ニュートンは神の創造された世界の法則を探求した。神とサイエンスは別に矛盾しない。

極私的には、霊がアクティベーションされたことにより、霊的世界とタッチし、それを見てしまった。ゆえに研究対象がこの物理的世界から霊的世界へと拡大し たのだ。驚くべきは、パウロなどはすでに紀元1世紀に「法則」なる用語を当たり前に用いていること。またヨブ記(紀元前の書物!)には、「天の運行の法 則」なる用語が出る(38:33)。まさしくサイエンスの書。しかも物理領域のみでなく、霊的領域をも包含するサイエンスなのだ。

というわけで、『神学書』なるものを読む時間があったら、聖書を、できれば生の原語にさかのぼって読むことをお薦めする次第。カルバンを知っていても、ウエスレーを知っていても、それはあなたの病気を癒しはしない。それを癒すのはあなた自身のフェイスなのだから!

あなたの信じたとおりになるように-ジーザス

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