エロヒム属として神的な質に参与する-2ペテロ1:3-4

さて、この聖句、岩波訳だと-

自らに備わった栄光と卓越したによって私たちを召された方を、私たちが知ることにより、イエスの神的な力が私たちに生命と敬虔についてにすべてのことを与えている。この栄光と卓越したによって、私たちには、貴い偉大な約束が与えられている。それは、これらにより、あなたがたが、この世界がもたらす、そして欲望がもたらす滅びから逃れて、〔イエスの〕神的な本性に参与するようになるためである。

さらに田川訳によれば-

我々をご自身の栄光とによって招き給うた方を認識することによって、生命及び敬虔へといたる一切の事柄を、その方の神的な力が我々に贈って下さったので、その栄光と徳によって尊く偉大な約束が我々に贈られたのであるが、それは、その栄光とによってあなた方が神的な質にあずかる者となるためでなのであれ、あなた方は此の世で欲望において朽ちることから免れるのであるが。

第一の「力」は”aretē”、意味は

From the same as G730; properly manliness (valor), that is, excellence (intrinsic or attributed): – praise, virtue.(Strong)

つまり、男らしさ、すなわち洗練さや徳。Thayerによれば

1) a virtuous course of thought, feeling and action
 1a) virtue, moral goodness
2) any particular moral excellence, as modesty, purity

徳のある考え方、感じ方、行為を言う。第二の「力」は”dunamis”、

1) strength power, ability
 1a) inherent power, power residing in a thing by virtue of its nature, or which a person or thing exerts and puts forth
 1b) power for performing miracles
 1c) moral power and excellence of soul
 1d) the power and influence which belong to riches and wealth
 1e) power and resources arising from numbers
 1f) power consisting in or resting upon armies, forces, hosts

つまり魂の洗練性による力・能力であり、”aretē”とも重なる。単なるいわゆる力とかパワーではない。そこで続いて、「神の本性」あるいは「神的な質」に参与できるのである。この「本性」とか「質」とされているのは”phusis”、意味はStrongによれば

From G5453; growth (by germination or expansion), that is, (by implication) natural production (lineal descent); by extension a genus or sort; figuratively native disposition, constitution or usage: – ([man-]) kind, nature ([-al]).

Thayerでは

1) nature
 1a) the nature of things, the force, laws, order of nature
 1a) as opposed to what is monstrous, abnormal, perverse
 1b) as opposed what has been produced by the art of man: the natural branches, i.e. branches by the operation of nature
 1b) birth, physical origin
 1c) a mode of feeling and acting which by long habit has become nature
 1d) the sum of innate properties and powers by which one person differs from others, distinctive native peculiarities, natural
characteristics: the natural strength, ferocity, and intractability of beasts

まとめると「発芽による増殖・自然の生殖」また「事の性質・力・法則・秩序」である。ゆえに「神的な本性」とは「神から生み出された種の増殖とその力や法則」のことである。つまりエロヒム属の増殖である(⇒エロヒム属の誕生)。

神の増殖を増殖する。-コロサイ2:19(原文)

事実、Strongによれば”a genus”、すなわち「属」だ。エロヒム(Elohim)とYHWHの違いについてはすでに何度も指摘しているが、エロヒムは生物の分類のような一種の霊的生命体のカテゴリーを指す。Dr.Heiserによれば「領域(sphere)」である。対してYHWHは父・子・聖霊にいます最も高きエロヒムの固有名詞だ。その意味は「ある(I-AM)」あるいは「在」である。他のエロヒムはもちろんYHWHにより創造された(⇒神の新創造セミナーII)。

かくしてヤコブやヨハネはこう証言する-

主は意図して我々を真理のロゴスによって生み出し給うたのだ。-ヤコブ1:18(田川訳)

神から生まれた者はみな罪をなすことがない[1] … Continue reading神の種がその者の中にとどまっているからである。だから罪をなすことはありえない。神から生まれたからである。-1ヨハネ3:9(ibid)

大切なのは生まれること。それは生命現象であり、われわれはYHWHエロヒムの霊のDNAを分かち与えられたエロヒム属である

神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。-1ヨハネ4:13(新共同訳旧版)

イエスは彼らに答えられた、「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたはエロヒムである』と書いてあるではないか。神の言を託された人々が、エロヒムといわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)・・・-ヨハネ10:34-35

この「託された」と訳されている単語は”ginomai”で、Thayerによれば

1) to become, i.e. to come into existence, begin to be, receive being
2) to become, i.e. to come to pass, happen
 2a) of events
3) to arise, appear in history, come upon the stage
 3a) of men appearing in public
4) to be made, finished
 4a) of miracles, to be performed, wrought
5) to become, be made

「あらしめられる」あるいは「なる」と言うべきであり、ロゴスがうちにあらしめられるようになった者たちはエロヒムである。ロゴスとは種、すなわち”sperma”、精子である。その本質はDNA。すべてはこのYHWHエロヒムのDNAが発現することによってなされる(Mark 4:26-29)。神のわざはわれわれのうちに生きるYHWHが私たちの魂と血肉とを通して現れ出ることによるのだ[2] … Continue reading。ゆえにパウロはこう証する-

神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。-1コリント15:10

究極的にジーザスは言われた-

はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。-ヨハネ14:12

それは内なる神を働き出すこと。これが恵みのわざである。敬虔(eusebeia)の奥義とは[3] … Continue reading肉において現れる神である(1Tim 3:16)。これを初穂としてデモンストレーションされたのがジーザスその方である。

神に愛される子供として、神をエミュレートする者となりなさい。-エペソ5:1

ここは通常は「神に倣う者」とあるが、それでは人間の真似をする猿である(⇒生み出された子として神をエミュレートする)。いのちのレベルが異なる。エロヒムなるYHWHを人間のいのち(=アダム属のいのち)でどうして真似し得ようか。この聖句の意味は「生み出された子としてエロヒムをエミュレートする」のである。

それはちょうど無骨なWindowsマシンにおいてハイセンスなMacOSを走らせ、Macのソフトを働かせることができる。これをエミュレートと言う。われわれの肉(体-魂複合体)において、エロヒム属の霊のうちに住まわれるYHWHエロヒムが生きてくれる。私の魂と体を通してYHWHの思い・意志・感情が言動として表出されるのだ(⇒霊の機能と魂・体との相互作用について)。

人間ジーザスは100%父を現された(John 1:14)。ここの「現された」の原文は”exēgeomai”、意味は”to consider out (aloud), that is, rehearse, unfold: – declare, tell”(Strong)、”to lead out, be leader, go before”(Thayer)である。つまり父を導き出し、リハーサルしたのだ。これこそエミュレートの意味である。ジーザスの言葉と業が彼由来のものではなく、父のものであったように(John 14:10)、われわれの言動すべては、いのちを与える霊となられたキリスト由来のものである(1Cor 15:5)。そのために聖霊が与えられた-

しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」-ヨハネ16:13-15

聖霊はジーザスの言葉とわざを私のうちで証しされる霊である(⇒聖霊のメモリー)。父と子の関係を、キリストと私の関係に平行移動すればよろしい。だからジーザスは言われた-

父がわたしを愛されたのと同じ程度にわたしもあなたがたを愛する。-ヨハネ15:9(修正は私による)
父がわたしをお遣わしになったと同じ程度に、わたしもあなたがたを遣わす。」-同20:21(同)

かくして聖書が啓示するのはキリスト教なる宗教体系などでは決してなく、十字架の死と復活を通し、アダム系人類のわれわれの死んでいた霊にご自分のいのち(Zoe)をインプラントし、新しいキリスト系人類として生み出し、そのいのちが私たちの霊のうちから魂、さらに体へと成長し、われわれを通して表現されることである。こうしてわれわれは地上におけるYHWHエロヒムのミラー(The Mirror Bible)あるいはイメージャー(Dr.Heiser)とされるのである。YHWHエロヒムはご自身のDNAを地上において拡大増殖されるのだ。これこそがキリストの充満たるエクレシアであり(Eph 1:23)、神のオイコノミヤであり(Eph 1:10)、神の国の拡大である。

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References

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1 ここの「者」ある部分は付加したもの。原文は”pass”、すなわち「神から生まれたすべては」である。神から生まれたすべてとは、もちろんわれわれの霊である(⇒神の遺伝子工学)。
2 「地上には聖霊様だけがいる」という聖霊派の理解は誤りである。ヨハネは聖霊が来られるとき、わたしたちがその人のうちに住まうと証されている(John 14:23)。
3 この「敬虔」なる訳語も不適切。日本語の意味で考えてはならない。御言葉は御言葉で定義すること。ただし、適切な日本語がないため、そのままにしておく。

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