エペソ4章12節の役はエクレシアの機能であって身分ではない-ほぼほぼお笑いのニッポンキ業界のセンセイごっこ

ニッポンキ業界ではナントカ会議というのがあって、そこで「牧師を先生と呼ばないように」とかの議題が上がったそうだ。たとえ不快感を覚えてもだとか。もはや冗談は吉本レベル。あるニッポンキ業界の看板どころのFBのウォールにポストした記事を再掲しておく。

本質は意識の問題ですよ。「あなたがたはみな兄弟だから」が理由ですから。「ニコライ派=ニカオ(支配・管理する)+ラオス(民主)=教団教職制度」はイエシュアが憎みかつ戦うとまで言われるのです。牧師を名乗る者はイエシュアの敵なのです。まあ、知らないうちは免責されますが。

日本文化や会議の決議ではなく、主ご自身とその御言葉を畏れ、従いましょう。弟子が師を超えることができないように、邦誤訳の読者は訳者のレベルを超えることはできないのです。だから牧師などを師とする限り代々劣化します。師>弟子=師>弟子=師>弟子=・・・って終わりのない不等式ですね。師はただおひとりです。

エクレシアとはエク(from)+カレオー(called)、世と分離された新生命体です。

そもそもpoimenを「牧師」とする邦誤訳のハマルティア(的外れ)も深いです。エペソ4:11の四役(五役でない)は、使徒、預言者、伝道者、牧者/教える者の順で、これらは「身分」ではなく機能です。しかもpoimenはラストです。

そしてキリスト教の宗教システムに組み込まれると「師」がつくのです。預言師とは言いませんが、伝道者は微妙な立場で、伝道師にもなります。しかも牧師見習いのように(苦笑)。

学校のクラスで同級生の身分はみな生徒、先生はひとり。クラスの役として級長や風紀委員が任命されます。いわば生徒たちが級長を「級長先生」と呼んでいるのが現状のニッポンキ業界です。

社会でも医師(これは身分)についても「医師先生」などと呼びません。外から見れば冗談は吉本レベルです。キ業界に入るときは違和感を感じても認知的不協和最小化により自分を慣らしているいくのです。この点統一やエホバと同じ病理、タコツボの病理ですね。戦後、GHQの保護下で延々と邦誤訳の上に築かれてきたニッポンキ業界もそろそろ宮清めの時期です。

まあ、英語の”Reverend”は日本語にすれば「尊師」ですが、さすがにニッポンキ業界のセンセイたちも名乗れないでしょう😆

・・・と冷やかし半分で書いてきたが、実はこれ、かなり深い本質的問題なのだ[1]要するにアイデンティティと機能(役)を混同しているわけ。。イエシュアは明言されている、師はわたしのみであると。つまりその立場を奪い取ることが牧師制度なのだ。よってイエシュアは憎みかつ戦うとまで言われる。だから牧師やその家族の末路がしばしば悲惨なのは当然である[2] … Continue reading

そしてこの人たちを信徒で支えようなどの倒錯が起きる。解決策は簡単、やめればよろしい。イエシュアと同じ立場に立とうとすることをメタノイアするのだ。本人も家族も信徒も解放されるであろう。

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1 要するにアイデンティティと機能(役)を混同しているわけ。
2 たとえば、リック・ウォレンが自分の著書は聖書に次いで売れている、ははは、と高ぶったとき、私はこの男は打たれると預言した。その二年後、息子が拳銃自殺、そして現在、彼は自己免疫疾患で日々痛みで苦しんでいるようだ。

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