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Tag: ニュー・クリチャー

スピリチャル・リアムに生きること

ようやく出版された。分量は285ページほど。ちょうど手軽と思う。聖書に関する解説本は多々あれども、聖書を知ってそれがどうなるの?ってことについての本はまったくない。ある出版社の編集者もすでにキリスト教を理解することはほとんど諦めていたと。つまり旧約聖書に何が書いてあるか、新訳ではどうか、それらの知識を得たところで何なの?というわけだ。人生の励ましを得る?慰め?賢い生き方?・・・昔、イエスという神を自称する男がいて、奇跡や癒しを行ったものの、惨めに処刑された。が、三日目に復活したとの噂が広まり、それを信じて、イエスの教えを守る集団が誕生した。彼らは神に認めてもらうために、禁欲や断食などを行って、厳しい生き方をした・・・。

まあ、これが標準的なキリスト教に関する理解。つまり一般の人からすると、たまたまキリスト教なるご苦労さまな宗教に入信した人々の経典が聖書であり、イエスがその教祖で、彼の教えを守ると天国に行けるっていうこと。でも現世では酒も飲めないし、ディスコも行けないし、勝手に恋人とか作っちゃダメだし、とにかく不自由だから、オレはゴメンだね。でも、クリスマスに彼女と楽しむのはロマンチックだし、結婚式もチャペルの方がカッコイイ。かといってオレの家の墓は代々仏教だから、葬式は仏教で。子供が生まれたら七五三で神社詣でもする。もともと仏教と神社の違いもよくわからんし。なんでキリスト教徒は偶像を拝むなとか、線香上げるなとか拘るのが理解できん。テキトーにこなしてればイイじゃん!ローマ法王も神に至る道はいろいろだって言ってるから・・・・。

これが普通の日本人のキリスト観だろうし、ニッポンキリスト教徒も大して変わらない。もっと言えば、これがキリスト教。あるニッポンキリスト教で人気にある牧師は、救いには来世の救いと現世の救いがあって・・・とか言い出す始末。聖書は何を啓示しているのか、そのコアな部分をかすめてもいないのだ。さて、それは何か?今回の本では聖書の鳥瞰図を与えたつもりだ。さらに新創造とは何か。それはヤ●ザが人生やり直せますと言ったことでは毛頭ない(そんなのは〇〇学会でもよくあること)。神は新生命体を生み出したのだ。真に信じる者、すなわち霊から生まれた者はニュー・クリーチャーだ。それは霊的領域と物理的領域の狭間に存在する者。私たちはポータルである霊によって、自由自在に時空間を超えて、スピリチュアル・リアムにアクセスできるのだ。その世界のサブスタンスをこの物理的世界に現出させることができる。

本を書くということも、私の霊に啓示されたサブスタンスが、私の魂のマインドにおいて言語化あるいは映像化されたものを文字化する作業だ。私のマインドに浮遊していたサブスタンスが本というハードな形を取る。まさにこれは信仰の仕事なのだ。聖書も同様にして書かれた。もちろん私の本を聖書と並べるつもりは毛頭ないが、私の得たポーションを書き留めたのだ。何を言いたいか。聖書を読むにせよ、人の書いたものを読むにせよ、文字ヅラを追っておベンキョウしてもあまり意味はないということ。文字ヅラに拘れば、上のようなクルシチャンが大量に生まれるだけ。ポイントは、サブスタンスを共有することだ。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、パウロ、ペテロ・・・らの得た霊的領域におけるサブスタンスを掴むことなく、文字ヅラを暗記し、それを繰り返して自分のブログに再現しても、それはロウでできた食品サンプルと同じ。一方でオレはキリスト教なんぞはやってない。人生、自分を表現して、あれこれできる限り楽しんでるのだ・・・とブってイキがる連中もいる。はは、かつての私だcool

クリスチャンはニュー・クリーチャー。イエスとまったく同じように、この世のものではない。時間と空間を超えることができる存在なのだ。いつでもイエスと、ヨハネと、パウロと交わることができる。霊の交信をすることができるのだ!しばしばクリスチャンは感情で生きている。気持ちがイイ、悪いで自分を判断するのだ。気持ちが良ければ祝福されており、悪ければ神に見捨てられたかも・・・。感情が落ち着くとか落ち着かないとか、あれこれの方法を使うが、彼らは何を求めているのだ?気持ちよくなりたければ、ドラッグが手っ取り早いだろうに・・・。おっとっと、ヤバイ発言だ。撤回。

言いたいことは、感情がどうのこうので生きるなよ、ということ。私たちは感情がどうであれ、ニュー・クリーチャーなのだ。新生命体。ARE YOU WITH ME? 映画『ルーシー』のように、覚醒せよ。10%、20%、50%・・・と。ついにわれわれはこの肉体を脱ぐ日が来る。それは100%の瞬間。その時、新しい肉体、霊の体を得るのだ!その時にようやく自分が何者であるかを知るのは大変結構だが、遅すぎ、だ。今、ここで、知れ!

内にいますキリスト、栄光の望み!

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