2016年、動乱の年
相模原の事件は世界的ニュースになっているようだ。折しもドイツでもまた事件が起きたばかり。世界のあちこちで向こうの霊が躍起になって暴れている感じだ。
しばしば障碍者や老人を扱う福祉や教育の現場ではスタッフや教師の側が病んでいることが多い(あるいは病んでいく)。彼らは自らの病理や自己憐憫を相手に投影しているのだが、その"気持ち"が拒絶されると感じるや一挙に恨みに変わる。盲人に盲人の手引きはできない、とジーザスが言うとおり。
しかし今回のケースでは大麻をやっていたようだ。これでニッポンでは大麻はそのメリットが顧みられることなくますます・・・だろう。
で、思い出し事がある。かつて学生時代に福祉現場見学で老人ホームを訪れたことがある。そこに到着するや、いきなり30代位の男性スタッフが車いすの老人の横に座り、私たちをつりあがった眼で見上げて、
「君たちは東大でぬくぬくと学生やってるんだろ!このご老人たちを見て見よ。この方々がどんな人生を生きて、今どんなお気持ちでここにいるのか、君たちにはわかるのかぁ!!!」と、なんと涙を流しつつ叫び出したのだ。
えっ、ぼくたち、今来たばかりなんだけど、と思う間もなく、みんなシーーンと、呆気に取られた次第。うーむ、病んでる・・・と。
私の長女も現場実習で老人ホームに2週間ほど詰めたことがあるが、現場の状況を見て、メンタル的にかなりダメージを受けたと言っていた。回復するのに1カ月ほど要したが、友人たちも同じ状態だったとか。
今回の事件も行政システムとかの問題ではなく、もっと根源的な人間の本質にかかわる部分が絡んでいるのだ。要するに人が人を救うことなどは不可能と知るべきなのだ。だからこその・・・。
追記:フランスではまたも教会が襲撃されたとか。2016年、ようやく折り返し点を回ったところ・・・。
追記の追記:いや、人間の罪による問題を扱う領域だからこそ、システムを緻密に練り上げ、強固な管理体制を確立して、こういった事件が起きないようにすべきなのだとするむきもあるであろう。が、それはサービスの提供側も受益側もキツキツに管理されることを意味し、ある種の強制収容所化することになるのだ。