アイドルの危険性―霊的空虚を埋める存在
女子大生アイドルがめった刺しされる事件が起きた。尋常ではない恨みを感知する。すでに霊的なものであると思われる。今週のメッセでも語ったことであるが、詩編139編にこうある:
神よ、わたしを究め/わたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知ってください。御覧ください/わたしの内に迷いの道があるかどうかを。どうか、わたしを/とこしえの道に導いてください。-Ps 139:23-24
この「迷いの道」、新改訳では「傷ついた道」と訳されている原語は"otseb"、原義はアイドル、つまり偶像。さらにこの語源は"ehtseb"、その意味は地の器だ。要するに地の器を偶像にすること。われわれが受ける傷や労苦はみなここから生まれる。ある人を尊敬し(これはよい)、さらに崇拝する。すると相手に対する期待値が高まり、相手に投影する。そこで自分の期待とわずかでもそぐわないとき、裏切られたと感じる。これが傷だ。今回のアイドルのめった刺し事件もここから起きている。また会社や組織のために忠誠を尽くす。そのために家族や自分を切り売りしてまで組織に魂を売る。これが傷を生む。そもそも労苦自体が傷となるのだ。
主の祝福が人を豊かにする。主は人に何も労苦を加えない。-Prov 10:22
この世はすべからくバビロンのシステムである。人間は罪のために神から切り離されて以来、自分の労苦でいのちの糧を得て、自分でこの人生のサバイバルする努力を求められるようになった。神によって地が呪われ、労働も喜びの営みではなく、自分を切り売りする労苦となったのだ。嫉妬に狂ったカインがアベルを殺して後、エデンの東に逃げ、彼の子孫は家畜を飼う者、音楽を奏する者、青銅や鉄を鍛える者となった(Gen 4:20-22)。現代文明である食料、娯楽、技術の祖である。サタンはそこに自分の組織を打ち立てた。これがこの世(Cosmos)と呼ばれる体系。その中核がマネーだ。マネーを制する者はこの世を制する。これが現代の人類の普遍かつ不変のパラダイム(と、思わされているだけ)。が、これはマトリックスだ。何度も指摘するがマネーは元々幻想。それはない!
このようなシステムにおいては、人は力のある者を頼りとし、媚びる。今、WOWOWで放映中の山崎豊子の『沈まぬ太陽』において、親友であった恩地と行天の人生は分かれていく、一方は自分の心に真実、他方は自分の心と友を裏切ってまで上司に魂を売る。名画『ベン・ハー』のジュダとメッサラの運命と共通する要素がある。これらの現象はすべて偶像がなし得るもの。霊的に死んでいるとはいえ、人には何かを礼拝したい、そしてその存在に自分を委ねたいという根源的欲求が存在する。だから宗教が次々に登場する。一説では日本の宗教法人の会員数は1億を超えるとか!? しかし、この世の神は人を持ち上げて、最後には人を落とす。神の形に創造された人を貶めることは究極的に神を貶めることだからだ。まことに悪魔はジーザスにすら、私を礼拝すれば、世のすべての栄華を与えると唆したのだ!
この世はすべてフェイク。それは浮世狂言。踊る者と踊らされる者、それぞれの役割を忠実に果たすことにより、この世のシステムは万端難なく回っていく。それに異議を唱える者は危険分子とみなされる。その中で人々は自分を委ねることのできる究極の存在を探して彷徨っている。否、その意識はないかもしれないが、そのサブコンシャスのレベルにおいては常にそれを求めているのだ。ここから種々の宗教、そしてカルトが生まれる。カルトの意味は元々は「礼拝」である。まことにその道から離れ、永遠の道に入る者は幸いである。