裂かれた天
- 2015/06/19 07:37
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:霊的世界, サブスタンス
そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった。すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。-Mark 1:10-11
天は裂かれた。そこから聖霊が鳩のようにイエスにくだった。そして天の声があった。この声はいイエスのみでなく、今やイエスは長子であり、イエスに続く私たちに対する言葉でもある。私は御父の心にかなう者なのだ。そしてこの言葉は次の祈りの成就である。
どうか、あなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々が震い動くように。-Isa 64:1
神が肉体を取られたとは、まさにこのことだ。イエスは天を裂いてくださった。受肉され、ご自分の肉体を裂くことによって。
兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく至聖所にはいることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができる・・・-Heb 10:19-20
この肉体の幕は裂かれたのだ。道は開かれた。天の至聖所に至る道が。私たちは天の領域とこの物理的時空間を自由に行き来することができる存在、新創造なのだ。御言葉は自分はこう思うとか、こう感じる、あるいはこう解釈するとかではない。それは啓示。オツムの発達した人はその肥大化したマインドが邪魔をする。自分のマインドという幕が閉ざしている。それは裂かれる必要がある。
キャサリン・クールマンは、私にとっては目の前のあなたがたより、聖霊の方がリアルなの、と言った。見えない世界、それは霊のみによって見ることができる。一度見たら、この物理的時空間のもろもろの事象は一挙に興ざめしてしまう。そのサブスタンスがこの物理的時空間に現出するダイナミクスを経験する特権が私たちにはあるのだから。私たちにはどれほどの天の富のサブスタンスが分かち与えられていることだろうか。今、極私的にはこれを見極めたいのだ。