プロテスタントの「信仰義認」の根本的誤り

そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。・・・」-ヨハネ6:28-30

今回のメッセではここの聖句の間違った理解がプロテスタントの根底にある事を指摘した。「律法を行うことによって救われるのではなく、イエスを信じることによって救われるのだ」という偽り!

はあ、これって信仰義認であって、ルターの本質的な教え、宗教改革の原点ではないかと、いわゆるキリスト教神学を学んだ人は異議を唱えたくなるだろう。はっきりという、そのスタンスは、この聖句の弟子たちとまったく同じマトリックスに絡まれているのだ。なぜか分からない人はかなりハマっている証拠[1]ちなみに佐藤優によるとルター神学はヒトラーのナチス思想の土台を提供しているとのこと。ルターのユダヤ人憎悪は有名である。

この聖句をよく読んでほしい。弟子たちは自分のわざに注意をおくが、ジーザスは神のわざを指摘する。信じることは神のわざであると! 先にも書いたが、ガラテヤ2章16節と20節(Gal 2:16;20)の意味の取り違え、というより誤訳がその根底にある。詳細は-

あるいはメッセを聴いてほしい。かなり挑発的に語っているので、神学オツムのプライドにはかなり刺激となるであろう。ここでは結論だけ述べるが、正解は「律法VS信仰」ではない!フェイスは律法を全うするのだ(Rom 8:4)。

信じなさいではなく、神フェイスを持て(Mark 11:22)

セルフによらず、キリストによる

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1 ちなみに佐藤優によるとルター神学はヒトラーのナチス思想の土台を提供しているとのこと。ルターのユダヤ人憎悪は有名である。

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