ニュークリーチャー、ネオ・ホモサピエンスの覚醒

普遍性を持つ過去ログをこちらにも収録しておきます。かねてより私は、クリスチャンとは罪赦された哀れな罪人ではなく、新人類、ニュークリーチャー、ネオ・ホモサピエンスであると言っている。対して、自分の十字架を負って自己を否みぃ~、自我を砕きぃ~、自分に死んでぇ~とかやるキリスト教的アイデンティティでクルシチャン化するむきが多い。自分は何者であるか、自分を体や魂と思い込む者は延々と宗教をすることになる。

さて、最近FBでフォローしているGraham Cookeの言にまことに鋭い指摘があった。

"Whatever you focus on, you empower. So all the time we are talking about the old nature and trying to change people's behavior, then we are giving life to something that Jesus has already killed."

From THE PORTLAND SESSIONS: SCHOOL OF PROPHECY

一応訳しておくと、

「何でもあなたが注意を置けば、それは力を得る。だから、常に古い性質を語り続け、人々の行動を変化させようとするならば、すでにイエスが殺してしまった存在にいのちを与えてしまうことになる。」

まことに至言。自分は罪ゆるされた罪人に過ぎません;もっと自分の罪深さを探ります;もっともっと肉の性質が十字架で砕かれる必要があります・・・。あたかもそれは敬虔であるようだが、実は自己欺瞞だ。あるいは自分の病気であることに安住し、イエスは病者を招くために来られたと、それを正当化する。三浦綾子メンタリティーだ。それは亡霊を蘇らせることだ。

さらにCookeは言う:

"Our perception of something can put our thinking into a place where we can't have a breakthrough. Only the new man thinking can cause us to encounter the Lord effectively, and if our thinking is still a stronghold for the enemy, how do we take it down and experience the mind of Christ? Transformation comes when our current thinking is consistently and powerfully changed by the Holy Spirit."

From MIND OF A SAINT

「私たちが何か意識すると、思いを自分ではブレクスルーできないところに置くことになる。ただ新しい人の思いのみが主と効果的な出会いをなし得る。またもし私たちの思いが敵の要塞であるならば、どうやってそれを落とし、キリストの思いを経験できるだろうか?私たちの今の考え方が聖霊によって絶えずまた力強く変えられる時、トランスフォーメーションが起こるのだ。」

アダムにある私は死んだ。今やニュークリーチャー。キリストにあって造られた神の傑作なのだ。それは神から生まれた霊である。つまり私の本質は霊なのだ!

For we are his workmanship, created in Christ Jesus.-Eph 2:10

ニュークリーチャーとか、繁栄とか、癒しとか、こういった単語によって神に期待が高まり、大いなる喜びを覚えるならば、霊的に健やかだ。が、何か反論したくなったり、抵抗を感じたり、認めたくない印象があったりするならば、それはマインドの中に敵の要塞がある証拠かもしれない。自己憐憫や恨み、裏切られた傷などの形で。神の言葉に同意できない要素をマインドから駆逐すること。神に同意しなければ、敵の偽りに同意するのだから。

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