再建主義者の言うクリスチャンとは?
いつもの再建主義の富井氏の携挙論の続編。先にAD70年に携挙があったが(歴史的根拠は何もないがと但し書きしつつ)、これは初穂であると。いずれすべてのクリスチャンが携挙されると言われるが、問題は彼の言うクリスチャンとは何か、だ。彼によればディスペンセイション主義者は悪魔的カルトの教えであり、救われていないとするわけだ。するとポストミレかつ再建主義に立つ者たちのみが真のクリスチャンとなるのだろうか?
tomi 2018/04/07(土) 20:23 すべてのクリスチャンは携挙される テサロニケの教会員たちの携挙は、クリスチャンの初穂だった。 つまり、クリスチャンも同じ体験をするという「保証」である。 聖書において保証とは「頭金」「手付金」である。 まず最初に携挙されたのは、イエスご自身であった。 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。(使徒の働き1・9) イエスは復活の初穂であると同時に、昇天の初穂でもあられた。 紀元70年頃にあった携挙では、旧約時代のクリスチャンたちや、テサロニケ教会の会員たち、そして、おそらく他のクリスチャンたちも、この昇天に与った。 イエスと彼らは頭金なので、彼らが携挙されたことは、われわれも将来携挙されることが保証されている。 おそらく、われわれにも同じことが起きるのだろう。 われわれが肉体を離れると同時に「御霊のからだ」への復活が起きる。 そして、その御霊のからだは物理的に昇天する。 なぜこのように言えるかというと、「クリスチャンは死なない」からである。 もし霊だけの存在になったら「肉体は死んだ」ということになってしまう。 「霊的な死も肉体的な死もイエスが身代わりに背負ってくださった」と信じるのが信仰である。 だから、われわれには、一瞬でも死ぬようなことはないのである。 霊においても、肉においても、死はわれわれと無縁である。 だから、われわれがこの血肉の体を脱ぎ捨てたら、即座に御霊のからだが与えられ、そして、昇天するのである。
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