再建主義の根本的問題=神の主権の無視=


神のご計画と「陰謀論」-神の御旨を阻止する者は誰ぞ-

この問題はクリスチャンの間でもいろいろとセンシティヴな議論が交わされるテーマである。一方ではユダヤ人が「プロトコル(シオンの議定書)」と称する世界征服のためのノウハウをまとめた文書によって世界の政治経済をコントロールしていると主張し(陰謀論)、一方では神の統治は啓示によって明らかにされるプログラムによってなされるから、陰謀論は聖書に相容れないとする(反陰謀論)。私も「プロトコル」は読んでいるが、なるほど確かに現在の日本の状況などはまさにこの文書の策略によって誘導された結果と見えてしまうほどに、よくできている文書である。掲示板に田中氏のWEBを紹介した手前、この問題に対する私の立場と見解を一応明らかにしておきたいと思う。

まずいわゆる「陰謀論」については、陰謀などはつねにどこでもあり得る事であって、実際問題としてユダヤ人が政治・経済・情報の中枢を握っているアメリカでは、目に見える一部の事件においてユダヤ人による「裏(シカケ)」があることは十分に推測できる。世界征服を狙っているのかどうかは分からないが、少なくとも自らの利益を意図していることは明白であろう[1] … Continue reading。「裏」がない社会事象などはあり得ないし、表に見えるものだけが真実であるとする精神はあまりにもナイーヴに過ぎる。現代のマスコミなどはとっくにマインドコントロールの意図をもった情報に溢れており、多分に私たちもそれによって踊らされている。まあ、ただしこの「仕掛け」が何でもかんでもすべてユダヤ人によるとは言わないし、またフリーメーソンやイルミナティによるとも言いませんが・・・[2] … Continue reading

旧約聖書を見ても、人の陰謀によって歴史が動いている場面は多々観察される。例えばカインによるアベルの殺人、サラの策によるイシマエルの誕生、ヤコブのエサウに対する策略、レベカの策略、タマルによるユダの誘惑、ダビデによるウリヤの殺人とバテシバとの姦淫、ナオミによるボアズとルツの関係、エステルのハマンへの対抗策・・・・。人の為すことはある意味ですべて策略あるいは陰謀と言える。もちろんそれに積極的な面も消極的な面もあるわけであるが、大切な点は、神はいずれにしろすべてこれらの人間の営みをご自身のご計画の実現のためにかならず用いられることである。この人間の策略・陰謀にあっても、神の主権は働いており、神の御旨の実現へと至るのである。神の意志と人の意志の関わりの絶妙さは、まことに不思議であり、まさに摂理と言うにふさわしい。この意味で陰謀論者は歴史の動きにおける人の意志の要素だけを強調し、反陰謀論者は神の意志の要素だけを強調していると言える。

神のご計画はもちろん永遠の過去において神が青写真をかかれ、人類の歴史に自ら介入されることにより、着々と成就へと導いておられる。しかしこのご計画の進展は、神の意志だけではなし得ないのである。神はご自分のご計画を、人間の意志と混ぜ合わせることにより成就へと至らせる方である。この神の意志と人の意志が微妙に綾なされて、時間の中で歴史は形成され、また神のご計画も成就へと至る。私たちの救いもまさにそのとおりであった。神の意志と私の意志とがピタリとはまるとき、私は救いを得たのであり、神の意志だけも、私の意志だけもそれは成就しなかったことである。神のご計画は明らかに聖書の中に啓示として与えられている。しかしその実現は神の意志だけでは決して実現しない。ここに人間の意志が織り込まれる必要があるのである。

もし世界において「裏」の歴史、あるいは一部の人々による陰謀が企てられているにしても、神のご計画から決して独立的になされるのではない。ある意味でそれらのものをさえ、神はご自身の主権の下で用いられるのである。ここに神の主権の峻厳を見ることができる。神はサタンの策略さえもご自分のご計画の成就のために用いられる。イエスを裏切ったユダも陰謀を行ったわけであり、サタンは十字架において多分に自分の勝利を確信したことであろう。しかし十字架すらも神のご計画の成就のために用いられ、むしろイエスを死と復活による勝利へと導いたのである[3] … Continue reading

私は表に見える世界の事象をそのままに受け取るほどにナイーヴではない。必ず「裏読み」する習性をいつの間にか身につけた。自由と平等の国アメリカにもすでにケネディの暗殺など過去にもいくつもの陰謀はあったし、裏では不正もなされている。世界のあらゆるところで陰謀はある。しかしそれすらも神はご自分のご計画の成就のために用いられる主権と知恵と力をお持ちなのである。これからの世の中はますます表と裏の乖離がはなはだしくなり、物事はますます錯綜するであろう。何が真実で、何が偽りである、私たちは何をどう聞くかによくよく注意する必要がある。自分は絶対に騙されていないと主張する人は実は騙されている。騙されている人は、自分が騙されていることに気がついていないからである。現在私たちはあらゆる真理へと導いてくださる御霊にますます頼るべき時代に入っている。

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1 この見解に対しては、一部の親イスラエルの人々によると、無知によるステレオタイプな偽りであって、ユダヤ人はむしろ少数派で虐げられている式の反論がある。ユダヤ人と一言で言っても、その範囲はあまりに広い。彼らの特徴はユダヤ人をきわめてナイーブ化し、少女趣味的にしてしまうところである。この「純化」の精神病理についてはすでに「日本人とユダヤ人Ⅲ」で論じている。しかし聖書にすら「ユダヤ人の陰謀」という表現があることを指摘しておく(使徒行伝20:3,19)。
2 現在ユダヤ人について客観的議論をするだけで「反ユダヤ主義」とする霊的傾向があるが、私はこれには少なからぬ警戒感を抱いている。例えば、聖書にユダヤ人たちが、イエスの血は子孫に降りかかってよいと叫んだ記述があるが、この記述に触れるだけで「反ユダヤ主義」とする傾向がメシアニック・ジューの間にはある。これは聖書の御言葉を否定すること同じであり、この聖書の記述に対する彼らの解釈は多分に詭弁に満ちている。これについてはすでにユダヤ人の自己欺瞞について「日本人とユダヤ人」でも論じているが、今回私の論考の正しさを証明する情報を得ることができた。よって最近得た情報を元に稿を改めたい
3 ここが分からない再建主義では、千年期にふさわしくない事象はすべて陰謀として、モグラ叩きのように祈って潰していかなくてはならないわけ。それが彼らにとっての「地を治める」ことの意味なのだ。だからフェイスにあって安息することができない。よって世界情勢によって常にカリカリしていることになる。

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