キリストが私のボディの中で増殖する

こういった表現をすると、いわゆる白いキリスト教神学で洗脳されている人々は違和感を覚えることと思う。が、これは御言葉そのものである。先にコロサイ2章19節を紹介している。通常はこう訳される―

このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって強められ結び合わされ、神に育てられて成長していくのである。 -Col 2:19

原文はこうだ―

神の成長を成長する(田川訳&岩波訳注) ※あるいは、増殖する

YHWHエロヒムが増殖するのだ!さて、このタイトルの御言葉はどこか?ピリピ1章20節である。通常はこう訳されている-

そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。-Phil 1:20

田川訳ではこうなっている-

キリストが私の身体において大きくなることである。

「おいて」は”en”、すなわち”in”である。「大きくなる」は”megaluno”、Strongによるとこうある:

to make (or declare) great, that is, increase or (figuratively) extol: – enlarge, magnify, shew great.

原義は「増殖する」ことだ。比喩的に「崇められる」ことである。すなわち私のボディの中でキリストが増殖する・増し加わることである。キリストは種として私の心(霊)のうちにまかれた。麦の種が撒かれたら麦がなる。キリストが撒かれたらキリストがなる。心はその種を育てる培地であり、子宮である。子宮すなわちマトリックスである。キリストがうちに育っているのだ。

あなたがたの内にキリストの形ができる-Gal 4:19

「形ができる」とは”morphoo”、英語では”form”である。受精卵が分裂し、分化して各器官や肢体が形成されるように、キリストが形作られるのだ。この時、私たちの思い・感情・意志はキリストのそれを反映する。キリストの思い・感情・意志が私たちの魂において再現するのだ。体はそれに従って機能する時、主の御心が私の体を通して物理的領域へと現実(実体)化される。これがフェイスである。

いま、フェイスとは願われるサブスタンス、まだ観測されていないことの現出である。-Heb 11:1(私訳)

まことにこのとき、「天に御心がなるとおり、地にもなるように」との祈りが成就する。

かつてのマリアは物理的に聖霊によりジーザスを受胎して、その子宮の中でジーザスが育てられ、時が満ちると物理領域に産み出された。今、私たちは霊的にジーザスを受胎し、私の心のマトリックスの中で形成され、いずれこの肉体をも脱ぎ捨て霊の体に変えられるとき、内なるキリストが出現する。

愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。 -1John 3:2

「似る」とはちょうど手袋のようなものだ。元々人(アダム)はYHWHエロヒムのファントム(外形)とライクネス(似姿)に従って創造された(Gen 1:26)。その空の手袋に実体である手が入るとき、手袋は手の栄光を現す。われわれは実体であるキリストがうちに育つとき、キリストの栄光を現すのである。エロヒム属として![1] … Continue reading

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1 何度も指摘しているが、エロヒムを「神」と訳することは罠である。それは霊的生命体の属である。われわれは御霊から産み出され、ロゴスというYHWHのDNA(種)をインプラントされた存在、エロヒム属である。しかし、YHWHではない。YHWHはもっとも高きエロヒムであり、父・子・聖霊にいます方。パースンとしてはわれわれは別である。

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