ダニエル7章はティトゥスによって成就したと再建主義者

いつもの再建主義の富井氏の終末論。ダニエル書7章の預言もAD70までに成就していると。なるほどね・・・・。これは資料として採取させていただきましょう。

引用
ユダヤを支配する4つの世界帝国を描くダニエル書は、旧約聖書の一部であり、それゆえキリストによってすでに成就されている。

7章では、第4帝国であるローマ帝国が描かれている。

ディスペンセーション主義などでは、ローマ帝国に関するダニエルの預言は未来に成就すると考えられているが、誤った解釈である。

それは、ティトゥスによって成就された。それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、きばは鉄、爪は青銅であって、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。
その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた。その角には目があり、大きなことを語る口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。
私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。
しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。
彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。
十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。
彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。
しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。
国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』(ダニエル7・19-27)


「その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた。その角には目があり、大きなことを語る口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。・・・十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。」

ローマ帝国の皇帝を以下に挙げる。1.ユリウス・カエサル(紀元前49年 – 44年)

2.アウグストゥス(紀元前31年 – 紀元14年)

3.ティベリウス(紀元14 – 37年)

4.ガイウス・カリグラ(紀元37年 – 41年)

5.クラウディウス(紀元41年 – 54年)

6.ネロ(西暦54年 – 68年―ヨハネ黙示録が書かれたとき6番目の皇帝)

7.ガルバ(紀元68年から69年)

8.(マルクス・サルウィウス・)オト(紀元69年1月15日 – 4月15日)[7、8、9は、根こそぎにされ、抑えつけられた3本の角]

9.(アウルス・)ウィテッリウス(紀元69年4月16日 – 12月22日)

10.ヴェスパシアヌス(紀元69年 – 79年)

11.ティトゥス(紀元79年 – 81年)

参照:

http://www.purposeoflife.org.uk/…


ローマ帝国という獣には10本の角があった。

これは、1~10に当たる。「この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。」


10番目の王、ヴェスパシアヌスは、フラヴィアン家であり、ユリウス・カエサルの家のものではなく、王朝が新しくなった。

ヴェスパシアヌスの息子ティトゥスは、紀元70年のユダヤ・エルサレム侵略を指揮したローマの将軍で、ヴェスパシアヌスととにユリウス・カエサルの王朝を終わらせた。

7,8,9の支配は短期間で終了したが、これは、スエトニウスによると、虐殺によるという。「・・・3人の皇帝の王位簒奪と虐殺の後に帝国は長い間安定を失い、いわば、漂流状態にあったのだが、ついに、・・・フラヴィアン家の手によって再び安定を獲得したのであった」(Suetonius, Vespasian 1)。


ガルバ、オト、ウィテッリウスは、殺害され、王位を簒奪されたのである。

では、殺害し、王位簒奪したのは誰か。スタンリー・L・サンドラーによるとそれは、ヴェスパシアヌスであるという。68年にネロが死去し、ローマが不安定になると、ヴェスパシアヌスは他の近東の総督と共謀し、帝国を奪取した。
(Stanley L.Sandler, Ground Warfare:International Encyclopedia,vol.1, p.923.)


ティトゥスはヴェスパシアヌスの将軍であったので、ティトゥスが、彼らを殺害したと考えても無理はない。

ここに「もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた」という預言が成就した。彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。


ティトゥスは、自分が破壊した神殿の中で礼拝された。

ヨセフォスによると、ティトゥスは、紀元70年、将軍たちとともに至聖所に入り(Josephus, The Wars of the Jews 6.4.7.)、崇拝を受けた。これは、大将軍として宣言された人物に対して慣例として行われていた行為であった。

ヨセフォス曰く、「そして、今、ローマ人たちは、軍旗を神殿に運び入れ、東門の真向かいに置いた。そして、彼らは、これらの軍旗に犠牲を捧げ、ティトゥスを大将軍の座に据えた。」(Josephus, The Wars of the Jews 6.6.1.)。


この軍旗の柱の上には、大きな硬貨形の胸像または像があった。その像には、ヴェスパシアヌスとティトゥスの姿が刻まれていた。



ここに、2テサロニケ2章が成就した。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。(2テサロニケ2・4)


ティトゥスのエルサレム侵略は3年半続いた。ローマとユダヤ人の宗教的緊張に端を発する「大逆」は、ネロの治世の第12年、紀元66年に始まった。ユダヤ人による反課税抗議運動とローマ市民への攻撃により危機が拡大した。ローマ総督ゲシウ・フローラスの対応は、第二神殿からの略奪であった。総督は、金は皇帝に献上するためであると主張し、翌日、エルサレムを急襲し、多数のユダヤ人高官を逮捕した。
https://en.wikipedia.org/…


これは、紀元70年の神殿崩壊と紀元71年のティトゥスのローマ帰還まで続いた。

ここに、「彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。」が成就した。
 しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。


ティトゥスは在位2年で熱病により死亡した。

ただし、スエトニウスによると、弟ドミティアヌスによって毒殺された可能性があるという。

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