エデンの園は日本にあった?と再建主義者(追記有り)

この主張はついにクルところまでと言った感が否めないが・・・。

縄文人とユダヤ人は同じYAP遺伝子を持つ。これは、ノアの箱舟から出てアララテ山の麓ハランにいたセムの子孫ヘブル人が南に移動したのがユダヤ人で、東に移動したのが縄文人だから。

では、縄文人はなぜ東に移動したのだろうか。それは、日の昇る方向である東が神を象徴するからかもしれない。

もう一つ考えられるのは、もともと洪水が起きる前、大陸が一つだった時代にエデンの園が日本にあったからかもしれない。

その時代の大陸をパンゲア大陸というが、エデンの園は東にあったと書かれているので、パンゲア大陸のもっとも東に位置していたと考えられる。

パンゲア大陸の想像図を見るとわかるが、一番東は今日本列島がある場所である。

神は、啓示の表舞台の役者としてユダヤ人を用いられたが、同時に、縄文人を日本列島に移動させ、裏舞台を用意されていたのかもしれない。

パレスチナのイスラエル王国は、紀元70年まで表舞台として機能していたが、捕囚後に離散した神の民は、日本列島に移動し、裏舞台を作っていた。

紀元70年になり、西の舞台が終了したので、神の民はそれまで同胞によって用意されていた東の舞台に移動し、そこにイエスを王とする永遠のイスラエル王国を建設した。

洪水が起きる前にエデンの園があった日本列島に神の民は帰還した。

これは、「イエスを信じることは、エデンの園に復帰すること」という聖書の主張と一致する。

追記:パンゲア大陸は二億年以上前にあったとされる。しかし富井氏は創世記の七日間創造をそのまま信じる立場、すなわち6000年前にアダムとエバが創造されたとする。この自己矛盾はどなたでも理解できるでしょう。

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