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再建主義者富井健氏の脳内マトリックスを理解する

かなり以前にディスカッションしたことがある富井健氏。これまで再建主義の旗手富井健氏をフォローしてきたが、これは論敵としてではなく、個人的にも関心を持つ人物だったからだ。現在のキリスト教の在り方に対するするどい批判などはきわめて共有できる。東京外語大を出て、英語、ロシア語に堪能、ソ連に勤務してその末路の悲惨を目撃、精神を病んだ模様。河合塾で英語講師を務め、90年代に日ユ同祖論に覚醒し、ラッシュデューニーを信奉して現在に至ると、極私的には理解している。

当初、彼は、尾山礼二の教会の教職者の頃は、いわゆるディスペンセイション主義を信奉し、千年期前に携挙と再臨があるとするプレ・ミレの立場だった。が、それによれば、世界はサタンの支配下にあり、何をどうしようとも滅びへと運命づけられているゆえに、仕事や家庭を築いても無意味であると感じ、世の仕事や家庭を設けることから一切退かれた。個人的にも教会裁判を受けて、ディスペンセイション主義を捨て、ラッシュデューニーの再建主義(ポスト・ミレ)に転向。現在まで、身体の衰えや経済的困窮にあらがって孤高の歩みをされている。

ディスペンセイション主義はイエズス会のラクンザの発明したサタンの教えであり、イルミナティから資金援助を受けたプリマス・ブラザレンのJ.N.ダービーやスコフィールド・バイブルのスコフィールドらにより主にアメリカ大陸で広まったとする。最近では統一教会と関係のあるティム・ラヘイやハル・リンゼイが活躍していると・・・。

AD70年に携挙と一回目の「再」臨があり、旧約のシステムは裁かれ、ユダヤ人は散らされた。彼らの多くは金融を支配するユダヤ人として世界を陰で動かしているが、それらは山羊派であり、羊派のユダヤ人は日本列島に逃れて、秦氏や物部氏が神社信仰の形で原始キリスト教を保存している。神はこの日本に真のエルサレム、ひいてはイスラエルを復興されて、十二部族もすでに回復されている。現在われわれが経験する「個人的携挙」は死の後に霊の体を得ることである。かくして日本から始まり全世界が福音化された後、キリストは二度目の「再」臨をされる。

この事実を山羊派のユダヤ人は知っており、イルミナティなどを通して開国以降様々の陰謀を仕掛けて、真の神の国イスラエルである日本を亡ぼそうとしている。現在の終末的様相はすべて彼らのシカケによる陰謀である。天皇制はユダヤ人によるものであり、神社はもともとキリスト教の信仰であった。日本こそ世界の中心であり、まことのキリスト教国である!

・・・・というのが彼の脳内マトリックスであろう。

極私的には、別にディスペンセイション主義の立場ではないが、プレ・ミレである。前艱難携挙説ではないが、再臨も携挙も一度限りの事件と考えている。そして携挙と再臨を待ち望んでいるが、仕事もし、カネも稼ぎ、マンションも得て、家庭も築いた。主の再臨ですべてが無に帰するとして、むなしくなることもなかった。むしろますます人生は楽しくなっている。

結論は、別にディスペンセイション主義そのものが問題なのではない。それが聖書の啓示として正当か否かは別の問題である。問題は受け取る側のメンタルの問題に過ぎない。富井氏はそれを聞いて、すべてがむなしくいと感じ、世の在り方から自ら退いただけなのだ。プレ・ミレを採っている私はそのようには反応しなかった。これは前から言っている通り、私のサイエンティストとしての姿勢も影響しているかもしれないが1)一応断ると、私はプレミレに立つが、それは今までのところプレミレを捨てる理由がないからだ。再建主義の主張を詳細に調べても、それを棄却するところまではいかない。もし今後、十分なるエビデンスが与えられれば、私もポストミレに変わるかもしれない。これは数理統計学的思考。すなわちある仮説を立てる。この否定の仮説(帰無仮説)を立てる。帰無仮説の上で今起きている事象の確率計算をして、それが5%未満のとき、帰無仮説を捨てる。これで危険率5%で当初の仮説を否定し得ないとするわけだ(これを「「統計的に5%の有意水準にある」と言う)。
 私の仮説はプレミレ。帰無仮説はポストミレ(この際、ア・ミレは除いておく)。聖書と世界の諸現象からポストミレが成立する確率を推定すると、今のところきわめて低い。よって、なお判断ミスの危険(これを第一種の過誤と呼ぶ)はあることを承知の上で、プレミレは否定できないとしているのだ。これがサイエンティストの思考法なのだ。なお、第二種の過誤とは帰無仮説が間違っているのに棄却しない誤りのこと。

主は言われた、何をどう聞くかによくよく注意せよ。それは自分の内側にどのような世界観を構築し、そのマトリックスにおいて、そのプロトコルに従って生きることを意味するからだ。これが各人の人生を構築するのだ。

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1. 一応断ると、私はプレミレに立つが、それは今までのところプレミレを捨てる理由がないからだ。再建主義の主張を詳細に調べても、それを棄却するところまではいかない。もし今後、十分なるエビデンスが与えられれば、私もポストミレに変わるかもしれない。これは数理統計学的思考。すなわちある仮説を立てる。この否定の仮説(帰無仮説)を立てる。帰無仮説の上で今起きている事象の確率計算をして、それが5%未満のとき、帰無仮説を捨てる。これで危険率5%で当初の仮説を否定し得ないとするわけだ(これを「「統計的に5%の有意水準にある」と言う)。
 私の仮説はプレミレ。帰無仮説はポストミレ(この際、ア・ミレは除いておく)。聖書と世界の諸現象からポストミレが成立する確率を推定すると、今のところきわめて低い。よって、なお判断ミスの危険(これを第一種の過誤と呼ぶ)はあることを承知の上で、プレミレは否定できないとしているのだ。これがサイエンティストの思考法なのだ。なお、第二種の過誤とは帰無仮説が間違っているのに棄却しない誤りのこと。

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