ストックホルム症候群に堕ちてるニッポン社会とニッポンキリスト教

https://www.youtube.com/watch?v=gy-N1sAJ1gc

そう、街は大きな鳥かごなのね、みんな飛べないの

人間の心理とは事に面白いものだ。貧困者がMMTを否定し、財務省の緊縮財政を是とし、クルシチャンが自分を縛る宗教の儀式や伝統を擁護する。かつて人質が誘拐犯に心理的な共感を覚える事件が起き、それをストックホルム症候群と呼ぶ。

1973年8月、ストックホルムにおいて発生した銀行強盗人質立てこもり事件(ノルマルム広場強盗事件)において、人質解放後の捜査で、犯人が寝ている間に人質警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明した。また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行った。

人は、突然に事件に巻き込まれて人質となる。そして、死ぬかもしれないと覚悟する。犯人の許可が無ければ、飲食も、トイレも、会話もできない状態になる。犯人から食べ物をもらったり、トイレに行く許可をもらったりする。そして犯人の小さな親切に対して感謝の念が生じる。犯人に対して、好意的な印象をもつようになる。犯人も人質に対する見方を変える。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ストックホルム症候群

悪魔は全世界を欺く者(Rev 12:9)。まことに世界(οἰκουμένη)は欺かれている。緑のタヌキが当たり前に当選するこの国。この世界には言わずもがなキリスト教なる宗教体系も含まれる。すなわちフェイクである。このフェイクの鳥かご(=マトリックス)の中で、ある価値基準に従って生き、その基準を満たすべく努力する。それがまったくハマルティア(的外れ)であったとしてもだ。

それどころか、自分を束縛し、自由を奪う者を擁護すらするようになる。自分の属する教団や牧師を懸命に守ろうとする。それはソレがその人のアイデンティティーの一部に組み込まれたことを意味する。つまり自分を擁護しているだけなのだ。自分の歩み、自分の達成、自分の記憶・・・・etc. われわれエロヒム属はキリストの達成と記憶により生きるのだが。

こうしてそのマトリックスの中で延々と過ごすことになる。啓示録12:9の全世界の単語”οἰκουμένη”の語源は”οἰκέω”であり、Strongによると-

to occupy a house that is, reside (figuratively inhabit, remain, inhere); by implication to cohabit: – dwell.

すなわち、居住する領域、つまりこの五感の領域である。この五感の領域はわれわれの五感のセンサーによって感知され、電気信号に変換され(コード化)、大脳においてデコード化されて知覚として内的に実体化される。これをクオリアと呼ぶ。このクオリアの集合体の体系-マトリックス-がその人にとってのパーソナル・リアリティーであり、その最大公約数的部分がいわゆる常識的世界観である。これが共同体とその文化や慣習からズレると、人格障害として、社会や他者との摩擦を生じるようになり、無意味なトラブルを生じる。

人はみなこのマトリックスの中に閉じ込められている。だから、コロナ怖い、マスクしよう、マスクしない奴は非国民だ、経済を止めても自粛、国が何もしなくてもひたすら忍耐・・・。ついに5月の消費動向指数は実質▲16.5%と脅威の数値を記録した。

失業率が1%上がると、自殺者数が2,300人程度増加する。今はUber Eatsなどのギグ・ワークにより日々食つなぐ若者が増加している。が、彼らは止まれない独楽のようなもので、長期の人生設計は描けない。こうして自分の体と魂を売っているのだ。まことにバビロンの商品は、金・銀・宝石・・・・・奴隷・人のとあるとおりだ(Rev 18:12-13)。

キリスト教も同じ。鬱病になる牧師は多いことはもはや常識だ。さらに自殺する牧師も増加しているようだ。コロナ騒動で食うに困る牧師も出ているらしい。そして彼らを援助することが近喫の課題とか叫ぶ向きもある。愚かしい、まずいラーメン屋のオヤジを誰が援助するだろうか。店をたためば良いのである。簡単な事だ。

(2021.06.05追記:ついに『牧師のリジエンスー逆境でも燃え尽きない再起力』なる本が出てしまった😱)

信徒も「かみっさまわ~」とヒスるワンパタンの説教を聞かされて、毎日曜日のお勤めをこなすことにより自分の信仰のアリバイを作っている。ある有名牧師が自分は50年間ただの一度も日曜礼拝を休んだことがない~と豪語していた。ま、ご勝手にどうぞだ。それも今回のコロナで見事にストップされた。日曜礼拝などに出る出ないはフェイスとは関係ない。聖書は「集まることをやめるな」と勧めているが、それは宗教儀式を守れと言うことではない。

ニッポン社会とニッポンキリスト教は合わせ鏡だとずっと指摘しているが、どちらも経済的デフレに霊的デフレで縮小するだけ。なにしろキリスト新聞がこのように証ししているくらいだ。

キリ新は絶滅危惧種、教会は限界集落。極私的には廃墟になるべしと前から言っている。まことの主の業はその廃墟から芽生えるのだから。キリスト教なるマトリックは消え去るのみ。かくして、鳥かごから飛び立ち、ケージから逃れる方法はフェイス。

いま、フェイスとは願われるサブスタンス(実質・実体)、まだ観測されていないことのエビデンス(証明・現出)である。-Heb 11:1(私訳)

エレミヤ16章にあるとおり、宗教の捕囚からの第二のエクソダスをせよ!

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