詩編51編5節は原罪を説くか

この編はダビデがバテシバと過ちを犯した後、預言者ナタンによって諫められた時、YHWHに対する悔い改めのことばである。

ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。(新改訳旧版)

新改訳には常に訳者の神学によるバイアスがあることは何度も指摘しているが、ここはその最たるものである。まさに、生まれつき罪(原罪)を得ていたと。

ここでまず邦訳を比較しよう:

見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。(口語訳)

わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。(新共同訳旧版)

これらの訳では、わたしが罪を持っていたのではなく、罪あるいは不義の中に生み出されたと解することができる。岩波訳では-

じじつ、咎のうちにわたしは産み落とされ、罪過のうちにわが母はわたしを孕んだのです。

英訳をいくつかリストしてみよう-

Behold, I was shapen in iniquity; and in sin did my mother conceive me. (KJV)

Behold, I was brought forth in iniquity, and in sin my mother conceived me. (LITV)

Lo, in iniquity I have been brought forth, And in sin doth my mother conceive me.(YLT)

Behold, I was brought forth in iniquity, and in sin my mother conceived me.(HRB)

Behold, in iniquity was I brought forth, and in sin did my mother conceive me. (Darby)

いずれも”in iniquity”であり、「罪を有して」の意味はない。さて、ここで復習をすると-

このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。-Rom 5:12

後半部については前置詞”epi”の解釈で分かれることはすでに指摘したので、そちらを参照されたい。この節のポイントは-

  • 一人の人(アダム)により罪が世に入ったこと
  • 罪により死が入り込み、すべての人に沁み込んだこと(永井訳)

である。罪はどこに入ったか。世(kosmos)である![1]“kosmos”にはもちろんその世界に住む者たちも含むが、あえて後半では”anthropos”として区別していることに注意してほしい。 結果として、全人類(anthropos)に死が浸透した。今の身体はその死の支配下にあるゆえに、人は生きる限り必ず罪を犯すことになる(私は「人類が罪を犯さない」と言っているのではないから注意してほしい)。

律法のなかった時代(=罪が認知されない時代)にもアダムの違反と同じ罪を犯すことがなかった人がいたが、彼らも死の支配は免れなかったのである(Rom 5:14)。ゆえにパウロはロマ7章において、この死の体から誰が救い出してくれるのかと叫ぶのだ(Rom 7:24)。ここでアダムの違反とパウロの罪の違いはすでに述べている。

かくしてダビデは罪が入り込んだこの世の中に産み出されたのである。またダビデの母は”in sin”においてダビデを受胎したとあるが、性交自体は罪ではない。この部分については岩波訳の注を引いておく-

「孕んだ」は、(家畜が)発情して受胎したの意(創30:41;31:10)で、人について言われているのはここだけ。題詞で本詩の作者とされるダビデについてかかる事実は報じられていない。

と言うわけで、ダビデの母がなんらかの罪的な行為においてダビデを受胎した事実を指摘しているわけではないと言える。

新改訳は明らかに意図的に、罪を内在化されて生み出された、とするが、これはいつもながらではあるが、すでに新改訳の訳者たちの神学的な解釈が入り込んでいると言わざるを得ない。素直に読めば、罪が満ちている環境の中においてダビデの母は受胎し、ダビデもその環境の中に産み出された、と読めるであろう。

繰り返すが、アダムにあっては人類は死の浸透を受けて、その結果として罪(罪と死の法則)の支配を受ける(Rom 7:23)。対してキリストにある新人類はいのち(Zoe)のインプラントを受け、その結果としていのちの御霊の法則により罪と死の法則から解かれる(Rom 8:2)。

カギは何か? 罪を犯すか、否かでない。死かいのちか、である。かくして十字架とはいのちの交換の場であると言えるのだ。

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1 “kosmos”にはもちろんその世界に住む者たちも含むが、あえて後半では”anthropos”として区別していることに注意してほしい。

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