再建主義で肉体の死が携挙である根拠

前に彼らにとっての携挙とは、AD70年の携挙と共に、現在の私たちにおいては肉体の死がそれであるとする理由がこの記事で分かった。

「血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。・・・朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。」(1コリント15・50-53)

クリスチャンは死なない。もし死ぬなら「イエス・キリストの犠牲の死は無駄だった」ということになる。イエス・キリストが身代わりに刑罰を負ってくださり、無罪とされた人は、死ぬ必要がない。クリスチャンにとって死とは、「体のバージョンアップ」である。この血肉の体は朽ちる性質を持っているので、永遠の相続財産を楽しむにはふさわしくない。だから体も永遠に続くようにバージョンアップされ、「御霊のからだ」に切り替わる。

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tathuya
tathuya
3 years ago

ベニクラゲのように捕食されない限りは、成体からポリプに戻り、何度も(研究者によって少なくとも10回以上確認されているようです)若返り、不死に近い生物もいるようです。また不死とはいえないものの、クマムシは極度に乾燥した環境下に於いて、超低温下あるいは高温下さらには強い放射線下に晒されていても死ににくく、タフな存在と言われています。キリスト者が、狭量な自我(変性自我とも呼ばれる)や低俗な社会意識に囚われず、キリストに服しきり、キリストの御霊がフルに働くようになれば、死すべき身体が活かされ、肉体が変えられて不老不死となる可能性があると私は信じます。

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