ゲネアとは何か-二重再臨説VS二重預言説

いつもの再建主義の富井氏の論。マタイ24章の「この時代(genea)」を30-40年の時間のスパンとして、AD70年の弟子たちの時代に携挙・再臨があるとし、旧約時代が終焉して千年期に入り、全世界が福音化された後、二度目の再臨があるとする。これについては何度もその無意味さを指摘しているが、彼はこれを「二重再臨説」と呼んでいる。

ここで、フーケマが、紀元70年の再臨を軽視しているのが分かる。

初臨(降誕から復活・昇天まで)の重要性を説き、「それゆえ、歴史上最も重要な日は、今なお未来に起きるキリストの再臨ではなく、過去に起きた最初の来臨である」と述べている。

紀元70年の再臨についての言及がない。

これが、従来のカルヴァン派の伝統―歴史主義(historicism)―である。

神殿崩壊に象徴される「旧約時代の終焉」という大イベントが脳裏から消えている。

カルヴァン派は、他の教派同様、聖書において「キリストの再臨は弟子たちが生きている間に起きる」と繰り返し述べている箇所を無視してきた。

カギは”genea”の解釈である。そもそもこの単語は”genos”を語源として、種族とか民族とも訳される。というより、それが原義に近いのだ。つまり現在の「古いアダム系の種族の時代」という意味である。それは必ずしも時間的な期間を意味しない。質の問題である。

かくして、通常、マタイ24章の預言は、AD70年のエルサレム陥落のことであると同時に、来るべき終末の状況が二重写しに予言されていると解する。

二重写しの予言を排除すると、AD70年に限局された予言となり、従って携挙・再臨もAD70年の事件とせざるを得ない。これは千年期の前の再臨であり、実質的にはプレ・ミレとなるのだが。そして、さらに千年期後に再臨があるとすることになるわけだが、それでは再再臨だと指摘している。セコンドの次はサードだ。

かくして極私的には「二重写しの予言」とする方が自然であり、論理的にも無理がない。清めには二度の再臨が必要であるする再建主義に対して、AD70年のエルサレム陥落は、これから起きるであろう世界の終末の警鐘的予告編であると考える方が理にかなっているであろう。

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ダイエット
ダイエット
3 years ago

ダニエルの70週の預言を AD69 ( AD70) とする人が他にもいるようなので

” Did We Find the Last Trump of the Rapture Resurrection ? ”
29分 [ ENDTIME DREAM & VISION ] YouTubeチヤンネル

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