「イエスの復活は中間的復活」と再建主義者

最近の富井氏の一連の記事は、彼の終末論を提示している。ちょっと分かりにくいが、AD70年に携挙も再臨もあったとし、現在は千年期、そして全世界が福音化されて後、二度目の再臨があるとする点は一貫している。また現在のわれわれの携挙とは肉体の死のことであり、死後ただちに霊の体を得ると言う。

歴史が終わるときに、再臨がもう一度あります。一度目の再臨が「旧約世界」を裁くためであったのに対して、もう一度の再臨は「新約世界」を裁くためです。

すでに述べたように、歴史の終焉の際に再臨はもう一度あります。なぜならば、旧約の聖めの儀式は2度行わなければならなかったからです。この世界が完全に聖められるには、二度の聖めが必要です。

私は、イエスが「わたしは三日目によみがえる」と言われた「三日目」は、3日半を意味すると思います。

「ひと時とふた時と半時」で3.5を意味します。これは、完全数7の半分で「まだこれで終了ではない」との意味が込められています。

ということは、イエスの復活は「中間的復活」であり、紀元70年の再臨も「中間的再臨」であり、それは歴史の半ばに起きたということを暗示しているのではないでしょうか。

ここの「中間的復活」と「中間的再臨」とは初見であるが、はたして何を意味するのであろうか? そもそも「再臨が二度ある」とはナンセンスであると指摘しているが。再臨はThe Second Coming、次の来臨は再々臨すなわちThe Third Comingである。「再臨」を、たとえば、「義認」とか「再生」と同様のターミノロジーとしてしまっているのだ。

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