ニッポン社会とニッポンキリスト教は合わせ鏡である

つづき:少なくとも我々が言論を展開するとするなら、こんな恥晒しな真似になることだけは絶対回避せねばならぬと、思います。

この藤井先生のご指摘、言いえて妙。まさにニッポン社会の合わせ鏡ニッポンキリスト教の様でもある。韓国を訪れて土下座してくる牧師やバルトセンセのお説をよくよく拝聴せよ!とする”高尚”な人々もおり、 一方で「幕屋」みたいな人たちもいて、靖国神社を崇敬し、大和魂の回復を祈願してるわけで・・・・。

神の啓示の自己証言によれば、神は神とは異なる実在の内部で神の現実存在を自ら証明する自由を持ち給う。よく注意せよ。それは神の現実存在を、したがってこの実在全体とは異なる存在者の存在を、〔自ら証明する自由〕である。しかしそれはあくまで神の現実存在を、である。すなわち、神が〔人間の思惟の中で〕考えられることから独立した神の存在、人間の思惟〔によって考えられること〕に先行し、その思惟をまず基礎づけている、徹頭徹尾対象的な神の存在を、である。また神とは異なる実在の内部での神のこの現実存在を、である。それであるから神のこの現実存在が、この実在の中で、それに人間も属しているこの〔神とは異なる〕実在の中で、またこの実在と異なるその全くの相違性の中で、人間によって認識されることができ、また神の自己証明が人間によって認識され、承認されることができ、人間の認識行為の枠内で繰り返されることができるという仕方においてである。

カール・バルト:神の自己存在の啓示

まさに脳内空転の空理空論、スピリチュアル・サブスタンスはまったく、ない。単なる言葉遊びであり、カッシーラの言う関係概念のもつれに過ぎない。フェイスは実体であり、それを言語で表現した書が聖書である。すなわち実体概念である。このような舶来品をありがたがって飾っているのがニッポンキリスト教のシンガクシャたちであろう。

さて、極私的にはニッポンは自我分裂していると指摘してきている。

分裂した自我は現実とは遊離した空理空論状態に陥る。そのため他者との関係が築けず、疎外感を深め、自分を阻害した存在に対する憎悪と嫉妬を深めつつ、妄想世界に埋没する。現在の社民党や共産党、さらに立憲民主党などの空理空論によく表れている。彼らは左巻きの”理想社会”の実現に邁進してるのだろうが、それはWW2時代の日本と同じ。

わが国は韓国のように国家としては分裂していないが、精神構造において実に致命的な分裂状態にある。今、購読中の『國破れてマッカーサー』にあるとおり、憲法九条が自我の統一を妨げている元凶的象徴である。マッカーサーは見事に日本人の精神構造の中核にクサビを打ち込み、ニッポンというクラゲ国家を演出したのである。そして今もなお、それは継続中である。まさにこのどこぞの党のシンボルが文字通り象徴している。

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