原罪論の誤り:罪は世に入り死が全人類に入った-アダムの違反は型であり個人において再現される

このようなわけで、一人の人によって罪(Sin)が【世に】入り、罪によって死が入り込んだように、【死は】すべての人に及んだのです。【ゆえに】すべての人が罪を犯したのです。-Rom 5:12(Dr.Luke改)

ここを邦訳では、「すべての人が罪を犯した【からだ】」するが因果関係が逆。ここの接続詞はCLVのように「ゆえに」、あるいはHRBのように「上書きされて」である。アダムの違反により全人類に死が入った理由は全人類が罪を犯したからだ、とは論理破綻でしょう。

つまり、アダムの違反により死が全人類に入り込んだゆえに、神の標準を全うできず罪に抗せない人類は【必然的に】罪を犯すのだ。だから時空を超えて透視する神の目にはすべての人が罪を犯したと見える。しかし-

しかし、律法が与えられる前にも罪は【世に】あったが、律法がなければ、罪は罪と【認められない】わけです。しかし、アダムからモーセまでの間にも、【アダムの違犯】と同じような罪を【犯さなかった】人の上にさえ、【死は】支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。-Rom 5:13-14

そもそもアダムの違反はパウロの葛藤の原因である内住の罪によるものではない(Rom 7:17)。それと同じ違反を犯さなかった人がいると書いてある! つまり彼らは内住の罪、いわゆる原罪を有していないのだ。が、死は彼らをも支配した。

いわゆる原罪(Sin)は遺伝的に継承されるとする白いキリスト教神学は偽りである!

異邦人には律法は与えられていないが、良心(内奥の意識)がその役割を果たしている(Rom 2:14)。良心がある時にguiltyと叫ぶのだ。裏を返せば、良心が目覚めていない胎児などは、死には支配されているが、原罪に支配されていないのだ。

人はある時に良心が目覚め、自分の言動についてguiltyと知る瞬間が来る。つまりアダムの違反と同じ罪(sins)をある時に犯すのだ[1] … Continue reading。良心は霊の一機能であり、霊のなごりでもある(Mal 2:15)。その時に罪(Sin)を得て、罪と死の法則に支配されるようになる[2]単数形の罪(Sin)と個々の罪々(sins)の違いに注意せよ。。心の病のほとんどはこの良心の呵責によるのだ。

それを救うのはただ-

この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。・・・心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。」-Heb10:10;22

それはいのちを与える霊となられたキリストがうちに生きることを可能とするのだ。そのキリストは罪(Sin)に勝利したかたである。罪意識から義意識に転機せよ

00votes
Article Rating

References

References
1 進化論(論ですから)では個体発生において系統発生が繰り返されると言う。この場合、アダムの違反は型であり(系統発生)、それが個人において再現されるわけ(個体発生)。
2 単数形の罪(Sin)と個々の罪々(sins)の違いに注意せよ。

是非フォローしてください

最新の情報をお伝えします

Subscribe
Notify of
guest

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

0 Comments
Inline Feedbacks
View all comments
Translate »
0
Would love your thoughts, please comment.x
()
x