聖句VS.ウエストミンスター信条-あなたはどちらで生きるのですか?

FBより転載:mRNAワクについて云々はボクシなどは突っ込んでこれないが、では、これはどうかな? 「ウエストミンスター信条」にガチしてますが。

ポイントは命題A「すべての人は原罪(アダムの罪)を継承して生まれている」という全称命題の真偽だ。一般に「∀x, P(x)」なる全称命題が偽であることを示すのは簡単[1]∀は「任意の」、あるいは「すべての」の意味、一方、∃は「ある」あるいは「存在する」の意味。。ただ一つ反例(例外)を指摘すればよい[2]つまり「∃x、P(x)=null」を示すこと。Pという述語を満たさないxがひとつでもあればよいのだ。。で、ローマ5:4を読んでごらん:

「しかし、アダムからモーセまでの間にも、【アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人】の上にさえ、死は支配しました。」

See?聖書自体が反例を挙げてるよね、センセ?つまりウエストミンスター信条が言う命題Aは真っ赤なウソだってことになりました。反論あります?

ナントカ信条なんてものはどーでもいい。大事なのは生の聖句だ。なお、ウエストミンスター信条はこちらをどうぞ。6章の3を読んでごらん。

大事なのは罪を犯すかどうか(善か悪か)ではなく、死か命かの基準である。人類に入り、継承されたのは死である。ゆえに罪に抗せないから、人はある時点でアダムの罪を再現するのだ。

一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。-Rom 5:17-18

キリスト教も含めて宗教は善と悪の平面上のあがきであるが、フェイスはその死の平面から命の平面への跳躍、突破である。善と悪の平面上で何をしても、たとえそれが善であったとしても、それはフェイスによらないから罪なのだ(Rom 14:23)。

全聖書はこのふたつの木に始まり、命の木で完結する結婚の物語である。

信じれば地獄行きから救われて、死後天国に行けるといった幼稚園レベルを抜けよ。ダイナミックにしてスーパーナチュラルなフェイスの世界へと突破せよ!

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1 ∀は「任意の」、あるいは「すべての」の意味、一方、∃は「ある」あるいは「存在する」の意味。
2 つまり「∃x、P(x)=null」を示すこと。Pという述語を満たさないxがひとつでもあればよいのだ。

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