新エルサレムはエクレシアの完成であり生ける有機体である-エクレシアはキリストの肉の肉・骨の骨

メッセでキリストは巨大な四次元立方体と言うと、キリストはサイコロなのですか?とか、極めて即物的な反応がある。新エルサレムを見てみよ、一辺12,000スタジオンの立方体だ。それは至聖所の形、つまりYHWHの臨在の栄光の場(シェキナ・グローリー)。その霊的リアリティを物理世界のモノで説明しているだけ。われわれの存在する時空間は4次元(3次元空間+時間)であるが、それはより高次元のリアリティの影に過ぎないのだ。

霊覚であるフェイスによりサブスタンスそのものを霊で把握せよ。

もっとも牧師でも新エルサレムを都市と思って向きがあるが、新エルサレムは小羊の花嫁だ(Rev 21:2)。都市とは結婚できないであろう。結婚は同じ要素、成分、属性、そして本質を共有する存在ができるもの。エバがアダムの肉の肉、骨の骨だったように、エクレシアはキリストの分身、同じ成分と本質を有する[1]エペソ5:30の邦語訳では「肉の肉、骨の骨」が落ちている(写本落ち)。TRに基づくKJVを参照されたい。。すなわち、エクレシアはキリストの充満である(Eph 1:23)[2] … Continue reading

その完成が新エルサレムである。前田護郎訳では正確に把握されている:

新しいエルサレムはキリストの花よめである信徒の集まりである。啓示録21:2の欄外中[3]邦誤訳では「花嫁のように」とされているが、原文は”hos”であり、英語では”as”が適する。つまり「花嫁として」である。

そこには神殿はもはや不要、なぜならYHWHと小羊ご自身の栄光で輝いているからだ(Rev 21:11;22-23)[4]11節では邦誤訳では「神の栄光で輝いた」とあるが、原文は”Having the Glory of … Continue reading。つまり隠されていた至聖所が巨大化して顕現している。至聖所は幕屋で10キュビット立方体、ソロモン神殿では20キュビット立方体、そして今、エクレシアにおいてはわれわれの霊であり、エクレシアの増殖と共に成長している。しかし、いずれそれは巨大な立方体として隠されることなく顕現するのである。

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1 エペソ5:30の邦語訳では「肉の肉、骨の骨」が落ちている(写本落ち)。TRに基づくKJVを参照されたい。
2 ここを「ところ」とか「場」とするの邦誤訳の致命的な誤り。これは新エルサレムを都市とする誤りと同じ。岩波訳は正確に訳している。口語訳と田川訳は「満ちているもの」としており、まだベターな訳となっている。
3 邦誤訳では「花嫁のように」とされているが、原文は”hos”であり、英語では”as”が適する。つまり「花嫁として」である。
4 11節では邦誤訳では「神の栄光で輝いた」とあるが、原文は”Having the Glory of God”、つまりYHWHの栄光そのものを有している。YHWHは新エルサレムとひとつ、そのシェキナ・グローリーは新エルサレムを通して輝き出る。すでにエクレシアは今・ここで、主とひとつの霊とされているのだ(1Cor 6:17)。

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