メタイノアとは色メガネを外すこと

メタノイアの意味に「悔い」などはないと何度も指摘してきた。それはメタ+ノイエオ、つまり超越的思考だ。YHWHの基準に沿った考え方、思いの使い方である。だから「思い改め」と私は言っている。

聖書を文系オツムの宗教者や思想家や道徳家や神学者などの手から取り戻すこと。聖書はスピリチュアル・サイエンスの書である。

僕が指摘してる「クリスマス欺瞞」も「ニコライ派」も「人の構成」も「世界の創出」も「バイブレーションコヒーレンシー」も、素直に読めばみな聖書にあることだ。

つまり彼らとは読み方がまったく違うわけ。日本基督教団の某牧師に「クリスマスなどにサブスタンス&エビデンス(Heb 11:1)はないでしょう」とつめたところ、自分は所詮「キリスト教」やってると証言したが、そのとおりなのだ。認めたのはエライ、分からん者にはまったくわからんから。

だがDr.Lukeはそこにはいない。そして、そこからのエクソダスを提唱している。

ポイントはナントカ神学とかカントカ主義とかって、変な色のついたフィルターを外せば見えるようになる。見えるかどうか。議論で詰めてもほぼ無意味だから、ぼくは最後までは詰めないわけ。若い頃は徹底的にやったけど、少しは丸くなったかも😉

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