Dr.Lukeの一言映画評:『マーシー(MERCY)』-デジタル世界とリアル世界の狭間に置かれた男の運命は?

AIが裁判官、被告人は推定有罪、弁護士は無しで、あらゆるデジタル情報から自ら証拠を探し出して、有罪率を下げる必要がある。それができないと即処刑。

現実は被告人は推定無罪、警察や検察が証拠を積み上げて有罪率を上げる必要があるわけだが、ちょうど裏返しになっている。

自らが構築したAI裁判所「マーシー(憐れみ)」のAI判事マドックスに冤罪で裁かれる刑事レイブン。最初は感情的に泣き叫ぶが、憐れみも情状酌量も通じないと分かると、許された90分の中でマドックとのやり取りによりデジタル空間に埋没された証拠を見出していく。そして、リアル空間では事件の裏には壮大な陰謀があることに気づいた彼は・・・・(以下はネタバレになるので)[1]ニュークリーチャーもスピリチュアル・スフィアとフィジカル・スフィアの狭間に生きるものである。

実に面白い。デジタルデーターが現実の人物の運命を支配する構図は、まさに現代の有り様だ。デジタルデーター(サブスタンス)とは1と0の集合体。それをデコードしてフレーム化された”モノ”が映像や音声やテキストとして実体化(エビデンス)される。まさにフェイスの型である。

「いま、信(フェイス)とは願われる実体(サブスタンス)であり、まだ観測されていない事実の現出(エビデンス)である。

・・・われわれは信(フェイス)により世界(アイオン)がYHWHの言葉(レーマ)によりフレーム化されたこと、したがって目に見えるモノは知覚し得るものから創出されているのではないことを認識している」-Heb 11:1-3

現代物理学では、ベル不等式の破れによる「局所実在性」の否定により、「宇宙とは情報である」と結論せざるを得ない地点まで来ているのだ。まさにサイエンスは聖書の後追いであり、その聖書も文学者や思想家に預け置く時代ではないのだ。それはスピリチュアル・サイエンスの書である。

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1 ニュークリーチャーもスピリチュアル・スフィアとフィジカル・スフィアの狭間に生きるものである。

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