真の愛は相手を自由にする

『冬ソナ』が名作たる所以は、単なるメロドラマではなく、聖書的に見ても深い真理が散りばめられているからだ。チュンサンとユジンは、ミニョンとユジンの時期も含めて、相手を愛するがゆえに葛藤し、傷つけ合い、すれ違い、別れを決意し、それでもなお、結ばれたいと葛藤した。

その葛藤を通して、彼らの愛は徐々に昇華されて、最後には結婚も可能であると判明したのに、脳のオペを受けるためにNYへ向かうチュンサンをユジンは追いかけず、あえて、フランスへと旅立った。これから闘病生活を一人で送るチュンサンをなぜ看病しないのか。彼の容態が心配ではないのか。彼の力になりたくないのか。通常はこう考えるだろう。が、二人はあえて別れた。

これは相手の尊厳を守る、また人格に対するもっとも高貴なリスペクトの表現であった。もし、ユジンがこれ幸いとチュンサンを追ったら、サンヒョクやチェリンの犠牲の上でのロマンスに堕してしまい、単なるふたりの事故憐憫ワールドが展開するだけだったであろう。

チュンサンもユジンもそれをあえて拒んだ。

不可能な家での再会の機会をあくまでも神の摂理に任せたのだ。このあたりはメッセで語っているので省略するが、神の摂理が働いていることを見られる点がこのドラマの深さの所以である。真の愛は相手を束縛しない、相手の尊厳を尊重し、人格をリスペクトし、相手を自由にするのだ。そして雅歌と見事に重なるのだ。

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