・すでに新しい天と地が出現している
・天の万象は焼けて溶けてしまった
・ペンテコステの日にヨエル書の天変地異が起きた
・すでに携挙は起こった
・終末はイエスの時代に起きた
・1世紀に主は雲に乗って来られた
→以上から、すべてが新しくされ、この世界がイエスのニュー・ワールド・オーダーである
再建主義の富井氏の論だが・・・うーん、どこかがおかしいと感じるのだが、それとも私がおかしいのだろうか?
ともあれ、再建主義では、残念ながら、いのちの路線への回復とその領域におけるいのちの御霊の法則による経綸が開かれていない。これはここでも何度も指摘した。キリストはレビ系祭司制度を廃棄し、もちろん律法もだが、新しいメルキゼデク系祭司制度を導入した(Heb 7:11-19)。それはキリストと共なる死と復活によって働くいのちの御霊の法則による祭司制度(Rom 8:3)。キリストの復活のいのちを吹き込まれた者たちがエクレシアであり(John 20:22)、それは物理的なものではなく、霊の初穂(Rom 8:23)にして新創造であり(Gal 6:15)、それは霊的領域の現象なのだ。
この転換はAD70年ではなく、十字架の死と復活によってなされたのだ(John 17:4)。この意味ではキリストのニュー・ワールド・オーダーはエクレシアの領域においては実現している*1。が、この物理的世そのものがキリストの統治に文字通りに服するのは次の経綸、すなわち千年期である(Heb 2:8;Rev 20:4-5)。それはすでに天と地のすべての権威を得られたキリスト(Matt 28:18)の統治が文字通り地上に出現する時代。もちろん現経綸でも神は主権者にして王、あらゆる事象が神のコントールの下にある(Matt 10:29)。すなわち摂理によって(時には、いわゆる物理法則などを超えて)神は働かれる。この経綸は異邦人の時代(Luke 21:24)、あるいは恵みの時代(2Cor 6:2)と言われ、その時が満ちる日は近いのだ。
■参考:
*1:エクレシアはいわゆるキリスト教会などではない。アダムが眠らされている間にそのわき腹の傷から取られた骨からエバが造り上げられたように、キリストが眠らされている間にその脇や体の傷から流れた血と水によってエクレシアが生み出され、造り上げられつつあるのだ。骨には造血作用があり、いのちは血の中にある。エバはアダムのいのちを分与されたが、同じようにキリストの血によってエクレシアもキリストのいのちを分与された。エクレシアとはキリストのいのちの充満なのだ(Eph 1:23)。