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CLIP:Jesus The Lost 40 Days

本日はキリスト教歴でのいわゆる「ペンテコステの日(五旬節)」。ユダヤ教のシャブオットの日だ。レビ記23章に7つの主の祭りのリストがある。過ぎ越しの祭りから始まって、最後の仮庵の祭りの七つだ。このうちのシャブオットが本日。初代教会に聖霊が降った日だ*1

ファイル 2954-1.jpg

さて、イエスは復活後、いろいろな人々にご自分を現している。マグダラのマリア、疑いのトマス、エマオの途上の二人の若者、そして五百人以上の人々に対して。そして神の国について弟子たちを訓練されて、オリーブ山から昇天された(Acts 1:9)。しかし聖書はこの40日についてはあまり多くを語っていない。イエスはあちこちに自由に現れることができたようであり、この40日間に何を語り、何をなされたのか、なかなか興味深いテーマではある*2

*1:しかし、実際は復活の週の最初の日にイエスは弟子たちに聖霊を吹きかけている(John 20:22)。これは復活のいのちの吹き込み、本質的な聖霊の満たしである(intoの満たし)。対して、ペンテコステの満たしは証のための力としての満たしであり、これは天からの力を受けるまでエルサレムにとどまれ、と言われた約束の成就である(uponの満たし)。すなわち経綸的満たしであって、すでに胎児として誕生していたエクレシアが、いわば産道から外へと生み出されたのだ。いわゆる「聖霊のバプテスマ」は経綸的満たしであり、証し、伝道、神の業をなすための満たしである。ギリシャ語では多くの場合、内的満たしにはpleloo、外的満たしにはplethoを用いて区別している。このペンテコステの日は、よって、エクレシアの地上的顕現とも言える。この二つの聖霊の満たしを区別する必要がある。参考:「油注ぎと油塗りについて
*2:おそらくこれを秘したのは、今私たちがそれぞれ主から直接聞き、直接に訓練される必要があるからだろう。それはきわめてパーソナルな経験であるゆえに。

神の真剣さ-霊と魂の切り分け-

本日のニーの黙想とも関係するが、カナンの地を征服するためにヨルダン川を渡ったイスラエルは、エリコを前にして割礼のない者たちは割礼を受ける。さらにマナはやみ、それぞれの収穫で生きるようにされる。そのときに、ヨシュアの前に抜き身の剣を持つ者が現れる。ヨシュアの質問に対して、「いや、わたしは万軍の主の将だ」と答える。そこにあるのは確固たる神の主権。この方を主権者とするか、否か。自己栄光化の霊、自己主張の霊、姦淫の霊、動機の不順な者、自らを売り込む者、などはそれから先には進めない。

本日のメッセージもまことに神の峻厳に触れるもの。このところ、霊が豊かに満ちているセレブが続いたが、しかし、真にこの地を得るために、私たちは抜き身の剣で切られる必要がある。本日のメッセージを聞いて、内側が探られた者は幸いだ。自己弁護や、憤りや、さらには反逆的な霊の動きを感じた者はきわめて要注意だ。御霊以外の霊の侵入を許しており、最悪、あちらの霊と契約を結んでしまっている。すでにふるい分けは相当に進んだが、なおも神は霊のふるい分けを行なっておられる。

神は私にこう言われた、「わたしは真剣である」と。神は常に真剣ゆえ、あえてそれを言われる神に対して、正直、畏れを覚える。今日、ヒュマーニズムによる自己憐憫の霊と神を侮る霊が蔓延しているこの社会やニッポンキリスト教。神に対する真の畏れが回復される必要があるのだ。

このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた。-Acts 5:5

主権者はどなたか。まことに、今、私たちに語られているお言葉はこうだ:

あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。-Josh 5:15

私たちもヨシュアにならって、頭を地に伏し、そのとおりにするのみだ。

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