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トップ > 2012年05月22日

やはり何かがある・・・

昨日のキンカンは曇のため、後半の"三日月"状態のみだったが、一応900年ぶりの天のしるしを見ることができた。まことに日食にせよ、月食にせよ、太陽と地球と月の直径と、それぞれの距離が同じ比になっている故に起こる現象なのだ。まあ、偶然でしょうけど・・・と人は軽く流す。が、聖書には明確にこう書いてある:

ついで神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。・・・」-Gen 1:14

明らかにこの3つの天体の配置は意図されたものだ。それは"しるし"として。イエスの誕生の際もしるしとしての星が三人の博士を導いた。終末においても同じだ。天にしるしが現れる。ところが心の頑なな者たちはそれを認めようとしない。あるいは日常の事にかまけて見ようとしない。あるいはあの地震にせよ、あの竜巻にせよ、慣れてしまうのだ。そう、ノーマルシー・バイアス。かくしてあの福島の地に戻り、そこに住む人々がいる・・・。

さて、さて、そこで・・・太陽の脇にあるもの、果たして何?

方法ではなく、油塗りによる

イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」-Luke 13:2-5

634mのバベルの塔がオープンされた*1。地球を滅ぼすこともあり得るFukushimaが何でももないかのようなそのお祭り騒ぎを見て、私の内の霊は、まだ懲りないのか、まだ神に挑戦するのか。神の憐れみを知るためにさらなる悲惨が再度起こる、と告げている。

人の道と神の道。前者はセルフを生かそうとするが、後者はセルフを死に渡す。あのタワーはまことにセルフの象徴。神はこのゆえにニッポンを悔い改めに立ち返らせるために、再度打たれるであろう。

これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。-Zech 4:3

世の中だけではなく、セルフ教化したニッポンキリスト教なるギョウカイにも、『何とかドンブリドリブン』とか、『人生を導く何とかコース』など、いわゆる自己啓発モノが蔓延っている。これらが流行るということはニーズがあるということ、つまりただ主イエスによってのみ満足する者たちが少ないと言うことだ。しかし、神の道は異なる。神の道は、アダム系を抹消し、キリスト系のいのちをインプラントすること。これだけであり、かつ他にはない!この私の十字架による「死と復活の原則」を外れたものはすべてフェイクであると知るべきだ。これはすでに2000年から指摘している。

■参考:「ヒーリング」・ブームの落とし穴

神の方法によると次が成就する:

その日が来れば/あなたの肩から重荷は取り去られ/首に置かれた軛は砕かれる。-Isa 10:27

ここは邦訳では削られているが、英訳では次のようになる:

And it shall come to passe in that day, that his burden shalbe taken away from off thy shoulder, and his yoke from off thy necke, and the yoke shalbe destroyed because of the anointing.-Isa 10:27

軛が砕かれるのは、アノインティング(油塗り)によるのだ!この原語は"שׁמן(shemen)"、意味は"fatness"とか"oil"だ。まことに油、i.e.,神の霊に満たされること。これこそがあらゆる重荷と軛を砕く。内なる塗り油の感覚に従うとき(2John 2:27)、さらに内なる御霊が私たちの腹から川々となって流れ出るとき(John 7:38)、キリストの復活のいのちがこの地上のすべての事柄に勝利し、飲み尽くす。そのいのちは死に勝利したのだから!地上の事柄で呻吟している者たちになし得るもっとも最高の助言は、御霊に満たされよ、だ*2

*1:一説には地下構造まで入れると666mとか?
*2:いわゆる「油注ぎの器」とかがもてはやされ、器信仰が蔓延しているニッポンキリスト教であるが、御霊は誰もが受けることができる。条件はイエスの血。レビ記14章において、まず血が塗られ、次に油が塗られる。油、すなわち御霊を受ける根拠はイエスの血なのだ。あなたがどんな者かによるのではなく、ただイエスの血に根拠がある。イエスこそが唯一の油塗られた方、つまりクリストス(The Anointed)。この方に注がれた油が私たちに滴る(Ps 133:1-5)。これが"Corporate Anointing"、特定の誰かではないのだ。
 鍵はイエスの頭首権に服すること。服すれば服するほど油は塗られる。しかし、この順序を無視したり、イエスの血によらずに、あるいはイエスの頭首権に服さずに自分勝手な霊を求めるならば、別の霊が容易に侵入する。詳細はこちらを参照のこと→「イエスの血と油塗り」。油はイエスの名を崇めるほどに私たちに喜びを覚えさせて下さる。ちなみに私たちに関して「KFCではイエスを神として崇めすぎている。特定の個人を崇めることはキケンだ」といった人がいるのだから、ニッポンキリスト教は不思議な世界ではある(→ニッポンキリスト教の七不思議)。

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