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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想


 そうすればたましいに安らぎが来ます。-マタイ11:29

 与えられる平安があります:「わたしはあなたがたに平安を与える」と。しかし、もう一方で自ら見出すべき平安があります。最初の平安は単純に神の元に来るときに得られるものであり、それは神からのいのちの賜物です。これは単にいわゆる伝道の福音的メッセージを信じる以上のことです。それは疲れ果て重荷を負った罪人として、主イエス・キリスト御自身の身元に来て個人的な交わりに入ることによります。そのような交わりは必ず安息をもたらします。このような基本的な賜物をご自身の子供たちに賜った神に感謝します!
 しかし、事ここに及んで、私たちは何かそれ以上のものを見出すべき臨界点に達するのです。私たちは主から学ぶ必要があります-それは主御自身を知る知識の成長において見出すことのできる満足を獲得するためです。何よりもまず、私たちは主御自身の謙遜と心の遜りを学ぶ必要があります。それにより、主が言われるとおり、私たちは安息を見出すことができるのです。なぜなら、この安息は賜物ではなく、弟子すなわち学ぶ者が味わうべきものだからです。しかも学びには時間を要します。しかしそれは限りない報酬をもたらすのです。


和光同塵-老子

 道は沖なれども
 これを用うればあるいは盈たず。
 淵として万物の宗に似る。
 其の鋭を挫き、其の粉を解き、
 其の光を和し、其の塵に同じくす。
 湛として存するあるに似る。
 われ誰の子なるかを知らず。
 帝の先に似たり。

キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。-Phil 2:6-8

生まれながらの(魂の)人は自分の才や力をひけらかすもの。対して老子は説く:鋭く尖ったものを鈍くおだやかにし、縺れたものを解きほぐし、まばゆい光はやさしくやららげ、至る所に舞う塵とひとつになること。これが「道(タオ)」の機能であると。まことにガマリエルの薫陶を受けた、当時のエリート中のエリートにして迫害の急先鋒だった才長けて尖ったサウロは、あの光に打倒されて後、パウロとなり自らを塵芥であると証しているのだ(1Cor 4:13)。真の「道」に出会った彼の何という変わり様、それはまさしく神の栄光!

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