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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想


 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。-マタイ11:29

 主と共に軛を共にするとはどういうことでしょうか?それは意志的に、心を合わせて、主と共に神聖な計画において協力することです。もちろん軛は牡牛を制限します。自分勝手にあちこちへとさ迷うことはできません。それはまっすぐに前に向かって歩ませるものです。しかしながら、そのようにして御業は成し遂げられるのです。ここで自分自身を何か偉大な者と考え、自分自身の野心の達成を目論むことなく、むしろへりくだる必要があります。神が望まれるところであれば、どこへでも、たとえ地の底であろうとも、喜んで行くことです。
 マタイ福音書のこの章において、主は公の務めにおいて明らかにフラストレーションを感じてられたことを見てとれます。ただ幼い者たちのみが理解し得たであろうし、それに応答することができたであろう、と。私たちならば、「何という威光の失墜であろう!」と叫んだことでしょう。しかし、そうではなかったのです。主のお言葉は、「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。・・・そうです、父よ。これがみこころにかなったこと」でした。主は何かを目論んだのではありません。主は父が願われることを完全に遂行しようとされたのです。ここで私たちが問われます。私たちは主の制限の中に留まり、主と共に歩むのだろうか、と。なぜなら、真の深い安息はこの「たましいの安らぎ」に入ることだからです。

木蘭柴-王維

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 秋山 余照を斂め
 飛鳥 前侶を逐う
 彩翠 時に分明
 夕嵐 処所無し

美しい秋の空を詠んだ、美しい詩だ・・・・

Tarzan的生活

防災訓練は無事終了。いや、かったるいこと。これで分かるのはいざというときには行政や地区は頼りにならないこと。ここでも自己責任・自助努力だ。串田氏も11月17日辺りに警報を出しているようだし、ここしばらくは予断を許さない*1

いよいよ今週から本格的に新しいスポーツクラブに通う。これまで20年以上にわたってお世話になったスイミングクラブに一応義理を立ててたのだが、昨日挨拶を済ませて、きれいに終わった。

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ボディをさらにシェイプアップすることを目標とし、いかに若くおれるかにチャレンジするツモリ。同級会でも私が多分一番若いし、疲れてるオーラを発散していない。人生、この時期にはいろいろ負い込んでしまうもの。私はむしろあらゆることから解かれつつあるわけで、論文もメドが立ったし、来週は六本木のディスコ/クラブ、12月はBillboardでのLive*2。で、その前にYAZAWAのチケットがどうなるか。ともあれ、わが愛読のマガジン『Tarzan』と共に、さてさていかなるエクササイズ・ライフとなりましょうか。ちなみにここはメニュは豊富。月に何度でもフリー。スパもサウナも完備。ショッピングも便利、書店もUNIQLOもある。ただ前にも書いたが、映画館が残念なのだが。

地上の生活もいつまでか・・・その時まで

ENJOY THE LIFE ON EARTH!

*1:私のポリシーは、帰無仮説:「近いうちに地震は起きない」とする場合、統計的に帰無仮説が正しい時にそれを棄てる第一種の過誤の方は許されるべきと考える。逆に帰無仮説が間違っているのにそれを取る第二種の過誤はリスクが大き過ぎる。つまり「オオカミ少年」は許してあげるべきと考えているのだ。ま、これは人それぞれなわけだが・・・。
*2:Hah? with whom? ...it's highly classified:-)

神のタイムテーブル

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久しぶりに走れた。いや、朝の美しい光の中、新鮮な空気を吸って、走るのはなんという歓び!

最近の再建主義富井氏の論は実に面白いものがある。アメリカのバビロン性を認め、現キリスト教の崩壊を警告し、世界がサタンの支配にあり、世界は統一政府へと動いていることも認めている。ここまでは私とほとんど同じ。私はこのままこの物理的世界はNWO(New World Order)とOWR(New World Religion)へと収斂すると考えている。その滅びゆく世界の中で神は選びの民を着実にご自身の元へと集められている。この世からも、またすでにソドム・エジプト化あるいはバビロン化されたキリスト教からもエクソダスの民を得ておられる。そして異邦人の時が満ちた時(Luke 21:24)、神は箱舟の扉を閉じられ、再臨により今の経綸を終わらせられる。次の経綸が千年期、すなわち文字通り、物理的にも、精神的にも、霊的にもキリストの統治が確立される。

・・・というパラダイムにしたがって私は生きている。しかし、現世界が終るからとして、ネガティブ思考により、富井氏のように学業や仕事や家庭を放棄してはいない。むしろ物理的にも経済的にも大いに楽しんでいるところである。彼の人生をあのようにしたのはディスペンセイション主義ではなく、彼自身なのだが・・・。

イスラエルでは第三神殿への動きが活発化している模様。これについても私と富井氏では見方が真逆になる*1。面白いものだ。同じ聖書を読んでいるのに・・・。かくして私たちは自分が信じたとおり、自分の語ったとおり、それぞれに実を得る。思いは言葉を生み、言葉は行動を生み、行動は人生を作る。御言葉を思い巡らし、御言葉を語り出し、御言葉を行動する。これ、ハッピーな人生の鍵なのだ。

さて、本日は自治会の防災訓練の日。地区の理事をしているので逃げられないのだ。では、本日も

HAVA A HAPPY DAY!

*1:私の立場はマタイでの主イエスの予言、荒らす憎むべき者が聖なる所に立つのを見たならば・・・(Matt 24:15)により、その者の出現までに第三神殿が再建されていると解する。富井氏はこの預言はすでにAD70年に成就しており、今やクリスチャンが神の神殿だから、第三神殿は不必要であり、それはシオニストの陰謀であると説く。

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