ニコラス・ケイジ主演の宗教的SF『ノウイング』。50年前に埋めたタイムカプセルから出てきた子供の落書き。それは無意味に見える数字の羅列。その数字の意味に気がついたMITの宇宙物理学教授が巻き込まれるミステリーとサスペンス。選ばれた者だけが聞こえる"声"。それはすべてを予言している。そしてついに太陽のフレアの大爆発が起こり、その"声"を聞くことができる選ばれた者だけが宇宙人による救いを得る。それはあたかもラプチャーであり、選ばれた者たちは新しい人類の最出発、つまりアダムとエバだ・・・。
というわけで、エゼキエル書の予言なども絡めて、やや終末論的な物語の展開。言わばニコラス・ケイジ版の「レフトビハインド」だ。そのテーマは確定論と偶然論。宇宙はある者の意志に従って生々流転するならば、人間の意志は意味を失う。しかしすべては偶然によるものとすれば、何という虚無。まさに<カルヴァンvs.アルミニウス>ではないか。では、Dr.Luke的にはどうか。これは前に再建主義の富井氏に絡まれたときさんざんに論じたのだが、不可知。
ちょっと簡単に説明しておこう。神学のおろかさはひとつの体系に飲み込まれて、それを相対化できなくなることにある。つまりはメタ視点の喪失。かくして互いに異端と断罪し合い、さらには火あぶりにするわけだが、彼らは認識論的視点をすっぽりと落としている。われわれの知性の能力として、実はその解像度が荒いわけ。これはかの佐藤優氏も指摘するところ。
今ここで、コイン投げをしてみよう。
s1:裏,表,表,裏,表,裏,裏・・・・
と続くであろう。これはまさに偶然によって形成された系列だ。
一方で2項間漸化式(「ロジスティック写像」と言う)
※ x(n+1)=ax(n)(1-x(n)), 0≦a≦4
を考えよう。パラメーターaと初期値x(0)を与えるならば、この※に従って確定的に
x(0),x(1),x(2),x(3),x(4),x(5),.......
という数列が決まる。ここにはaとx(0)を与えた者の意志がすべてを支配している。さて、ここでこの数列x(n)がa/2未満ならば表、以上ならば裏とすると、系列
s2:表,裏,裏,表,裏,表,表・・・・
が作られる。もちろんこれは決定論的に決まる。s1は偶然に決まったもの、s2はある規則に従って決まったもの。ところがここですごいことが起きる。実は偶然の系列s1は確定的方程式※から作れてしまうのだ。つまりs1とs2には本質的な違いがない!あるいはわれわれにはs1とs2のどちらが偶然の結果で、どちらが決定論の結果か判断ができないのだ!あるいはそもそも確定的世界観と偶然的世界観の区別が意味を喪失する。
さらにもっとすごいのは確定論的に系列を生み出せる※において初期値x(0)をものすごくわずかだけ変えることにより、後の系列はまったく予測不可能な振る舞いをする(バタフライ効果)。これを初期値敏感性という。このような現象を扱う領域をカオスの理論と呼ぶが、ニュートン力学、アインシュタインの相対論と量子論、そしてそれに続くカオスの理論。いずれも人類が世界をどのように認識するか、そのパラダイムの大いなる革命なのだ。
かくしてわれわれ自然科学系の人間はつねに自分の認識力に対する検討を加えることを忘れることがない。前にも言ったが、解像度1mのカメラで1cmの物体を見ることはできないのだ。つねにメタ視点を忘れないこと。キリスト教徒たちの狂気はこのメタ視点の喪失から生まれる。まあ、神学者の皆様は相当にオツムがよろしいのでしょう。延々と「何とか神学」や「かんとか神学」を信奉し続けることができるわけですから。造られた者のオツムの中に造った者を収めようとする試みが神学なのだ。つまりはそれ自体が倒錯現象だ。自分のオツム(脳)すらも理解し得ないというのに・・・。さらに彼らが「神のために」とか「神の名によって」とか言い出すと、何をし出すか分からなくなるわけ。これがキリスト教の歴史。まあ、人類の愚かさの証明だが。
さて、こちらのページでシミュレーションができるので、ちょっと試みて欲しい(JAVAが必要)。
>>ロジスティック写像の時系列
さらに複雑系と言う世界がありますが、例えばこちらをいろいろいじってみてください。驚くべき美の世界を観ることができます。
>>マンデルブロー集合
上のリンクは直リンでは入れないようなので、こちらから入ってください。
・カオス&非線形力学入門
注:いつもはアイドリングなDr.Lukeにも僅かながらのオツムがあることを見せるためにではありませんが、現在もパラダイムの転換が起きているのです。
・ニュートンの出現で、宇宙は法則に従って、つまり運動方程式(微分方程式)に従って運行していることが分かりました。ニュートンは神の創造の秩序を明らかにしました。
・アインシュタインの出現で、時間と空間と言う独立と考えられていたディメンジョンが実は独立ではないことが分かりました。絶対的なものは光だけで他はすべて相対的なのです。
・同じく彼をルーツとする量子力学で光は粒子と波動の性質を持つこと、つまり粒子性と波動性は互いに矛盾するものではないことが分かりました。私たちも波動なのです。
・カオスの発見により確定論と偶然論は互いに排他的ではなく、実は区別のできないものと分かりました。
かくのごとく世界を観る人類の認知のフレームは、時々に転換するのです。カルヴァン神学がどうのこうのと言ってる神学者諸氏、まずは自らのオツムの分を再点検すべきでしょう、ね♪ニッポンキリスト教のオツムのよろしいみなさん!