改めて、信仰とは?
- 2015/10/23 20:36
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:サブスタンス, フェイス・アウェイクン
下において、信仰があれば癒されると書いた。が、これは厳密に言えば正確ではない。なぜか。信仰は願うことのサブスタンス、つまり癒しそのものなのだ。信仰が癒しの条件ではない。信仰そのものが癒し(サブスタンス)なのだ。これを新著において、江戸時代にタイムワープした20世紀の人が持つ抗生物質の喩えで説明した。この喩えで言えば、抗生物質が信仰のサブスタンス。それを飲む時(行いにより)、それは癒しを現実世界で立証する。
信仰を何か神からいただくための条件かのように捉えるならば、癒されないのは信仰がないと言うのか、といった発言になる。これは大いなる勘違いであり、自分の信仰を信仰とするトラップに落ちている。信仰は癒しのサブスタンスそのもの。そもそも救いのサブスタンスでもあり、義と聖と知恵と贖いと・・・すべての霊的真理のサブスタンスそのものなのだ。義とは私のあり方ではない!義とはキリスト。聖も知恵も贖いも、すべてはキリストだ。もっと言えば信仰とはキリストなのだ。
あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。-1Cor 1:30
繰り返すが、霊的真理は日本語で考えてはならない。フェイス・アウェイクン、すなわち信仰の覚醒のためには、まず日本語のマインド、そして日本語の世界を離脱せよ!