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言葉によるバカの壁

言葉は実に不思議なもの。「ユーアーフール」と言われても日本人はさほど傷つかない。「あほちゃう」と言われても関東人はそれほどでもない。が、「お前はバカ」と言われるとかなりクル。内容は同じなのだが、その言葉にまとわりつく「何か」がメンタルに影響するわけ。

聖書の言葉も同じ。言葉によるトリックがいわゆる宗教体系を構築し、ニッポンキリスト教が出来上がる。これは私が20年近く言っていることだ。日本語で考えるなと。ある方が、「ジーザスはエイリアン」に対して大変な憤慨をされた。うーん、何故これほどに激するのかまったく不明。辞書でちょっと調べてみてほ しい。ジーザスは「わたしは世の者ではない」と言われた。まさにエイリアンでしょうに(笑)

言葉遊びしているとその自分のマインドに構築された言葉の体系、つまりマトリックスによって判断し、そこから生み出される感情がこのような反応を生み出 す。あなたのオツムの中の「エイリアン」があなたが憤慨するような意味を有しているに過ぎないのだ。いわゆる「言葉狩り」なる社会現象も同じ。「片手落ち」は禁句、「片落ち」が正しい。こちらは別にそのような意味を込めて使ってはいない。こうして社会は相互監視社会となり、窒息する。これが現在のニッポ ンキリスト教で起きている現象なのだ。

われわれは「信仰」という時、すでに日本語のマトリックスに落ちている。その回路に従って考えるのだ。オレの信仰にとやかく言われる筋合いはないとなる。 ピスティス、つまりフェイスはシックスセンス。そのセンサーによってわれわれはスーパーナチュラルと関わる。そのサブスタンスはひとつだ。御霊はひとつ、 フェイスはひとつ(Eph 4:5)。

言葉の効能と限界をしっかりと線引きする必要があるのだ。物理法則は数学という共通言語によって記述される。ゆえに言語の壁はない。そのかわり数学が分からない人にはまさにイッツ・グリークとなる。一方、フェイスはそれぞれの言語によって記述される。ゆえにいろいろと民族的・歴史的・習慣的・習俗的などな どのコンタミが混ざる。これが種となって膨らむとそれぞれのキリスト教なる宗教体系が構築される。

当時もジーザスは「パリサイ人とサドカイ人の種に注意せよ」と言われた。パリサイ人は宗教者、サドカイ人は合理主義者を代表するが、その種が膨らむとフェ イスをかき消す。これが今もなお、連綿と起きていることなのだ。われわれは完全にその種を抹殺することはできない。が、主は「それに気を付けよ」と言われた。少なくとも自らを正当化して、それを育てるような愚は避けたいものである。

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