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ニッポンキリスト教とクルシチャンの生まれるワケ

私もメッセでつねに指摘しているが、邦語訳は写本以前に訳語があまりにもテキトー過ぎる。これでニッポンキリスト教とクルシチャンが生まれる。再建主義の富井氏の指摘。まことに同意だ。
http://www.millnm.net/cgi-bin/wwwboard.cgi


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tomii 2016/08/16(火) 04:31

聖書に手を加えてはならない!

1.
ルカ4・4は、新改訳では次のようになっている。

イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」

しかし、キング・ジェームズ訳では『 』の部分に「神のすべての言葉によって」という意味の文言が追加されている。

And Jesus answered him, saying, It is written, That man shall not live by bread alone, but by every word of God.(KJV)

新改訳と同じように省略されているのは、いわゆるニューエイジ訳と呼ばれる以下のものである。

Jesus answered, “It is written: ‘Man shall not live on bread alone.’”(NIV)

And Jesus answered him, “It is written, ‘MAN SHALL NOT LIVE ON BREAD ALONE.’”(NASB)

And Jesus answered unto him, It is written, Man shall not live by bread alone.(American Standard Version)

原語はどうなっているのかというと、Textus Receptus及びビザンチンには”but by every word of God”の部分があるが、ウェストコットとホートとアレキサンドリアにはない。

http://www.greeknewtestament.com/B42C004.htm

つまり、新改訳をはじめ、アメリカの新しい翻訳と呼ばれるものがウェストコットとホートの影響を受けており、アレキサンドリア写本に基づいていることが推察できる。

2.
1ペテロ2・2で、新改訳において「純粋な、みことばの乳」と訳されている個所は、KJV及びNASBでは同じように訳されているが、NIVとASVでは「純粋な、霊の乳」と訳されている。

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。(1ペテロ2・2)新改訳

As newborn babes, desire the sincere milk of the word, that ye may grow thereby:(KJV)

Like newborn babies, crave pure spiritual milk, so that by it you may grow up in your salvation,(NIV)

like newborn babies, long for the pure milk of the word, so that by it you may grow in respect to salvation (NASB)

as newborn babes, long for the spiritual milk which is without guile, that ye may grow thereby unto salvation;(American Standard Version)

原語では、Textus Receptusとビザンチン及びウェストコットとホート、アレキサンドリアとも、問題の個所について差異はない。

http://www.greeknewtestament.com/B60C002.htm#V2

"logicon adolon gala"は「合理的で純粋な乳」という意味であって、「御言葉の」も「霊の」も入っていない。

"logicon"は「ロゴス」からきている形容詞で、「合理的な」「理にかなった」という意味である。

それゆえこの個所は次のように訳すべきである。

生まれたばかりの乳飲み子のように、合理的で純粋な乳を慕い求めなさい。それによって成長(し、救い)を得るためです。

*(し、救い)の部分はアレキサンドリア及びウェストコットとホートの場合。

「ロゴス」はヨハネ福音書では適切に「言葉」と訳されているので、それとの関連性から「純粋な御言葉の乳」と訳すことができるかもしれない。

しかし、「純粋な霊の乳」という翻訳はない。
「霊の」にあたる原語は含まれていないからだ。
1と2を見て、思うことは、なぜすべての聖書が「付け加え」を行ったのだろうか。
私はこのような人為的な追加及び削除を行ってはならないと思う。
「純粋な御言葉の乳」とか「純粋な霊の乳」とかよりも「合理的な純粋な乳」と原語どおりに示されれば、その暗喩の部分について読者は意味を探ろうと頭をひねる。
それを含めて神の御心である。

聖書に手を加えてはならない!

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