アリの一穴ダムをも崩す―恐れを駆逐せよ!
- 2016/03/02 09:35
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:フェイス, 恐れ, カナン人
恐れるな!これは主イエスが何度も何度も繰り返した言葉。いや、命令だ。しかし、人は誰も弱い者。ちょっとくらい恐れを感じてもそれが普通。・・・と、私たちの生まれながらのマインドはサブコンシャスのレベルで思考している。これはアリの一穴。それがダムをも崩壊するのだ。
恐れるな!これは主イエスの命令である。フェイスと恐れは互いに背反。フェイスのあるところには愛があるゆえに、恐れはない。恐れがあるところには懲罰が伴うゆえに愛はなく、ゆえにフェイスもない。カギは
まことの愛は恐れを取り除く。-1John 4:18
大切なのは愛を通して働くフェイスである。-Gal 5:6
ヨブは自分の恐れているが現実化したと証言した。ニューエイジ的には「引き寄せの法則」。恐れ、FEARとはFalse Expectation Appearing Realだ。恐れは懲罰、つまり呪いとわれわれを結びつける。フェイスは逆に祝福とわれわれを結びつける。恐れはサタンのパワーをアクティブ化する。フェイスは神のパワーをアクティブ化する。
メッセでも語っているが、カナンの地にいた原住民を駆逐すること。なかでもヘテ人、その意味は恐れ。彼らには1ミリたりともゆずってはならない。いつもの再建主義の富井氏がちょうど同じ論点を指摘しているので、引用させてもらおう:
tomi 2016/02/29(月) 21:41
(民数記13・25-33、14・1-11)
カナン人との闘いにおいて必要なもの
出エジプトの後に、イスラエルは、カナン人の土地に入ろうとしていた。
その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。
ヨシュアとカレブ、その他のスパイを送り込んで偵察させた。
ヨシュアとカレブは、行って攻めとろうと言ったが、他のスパイはできないと言って民の気をくじいた。
ヨシュアとカレブが可能性を信じたのは、主の約束だった。
恐れてはならない理由は次のとおり:
1.彼らは私たちのえじきとなる
2.彼らの守りは、彼らから取り去られている
3.主が私たちとともにおられる
主の民であるわれわれは、この3つを信じなければならない。
神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。(コロサイ2・15)
つまり、
1.カナン人はわれわれの餌食になること。
餌食の原語lechemは「パン」の意味である。
われわれは、カナン人をパンとして食することができる。
つまり、カナン人はわれわれの利益となる。
カナン人が集めた富や財産をわれわれは相続できる。
カナン人・フェニキア人の子孫、ベネチア・オリガルキーを祖先として持つロスチャイルドやロックフェラーが築き上げた世界資産をことごとくわれわれは相続できる。
このことを信じなければならない。
われわれは相手を「食ってやろう」ぐらいの気持ちでなければならない。
2.彼らの守りは、彼らから取り去られている
イエスは「天地におけるいっさいの権威がわたしに与えられた」と言われた。
イエス・キリストの前に、あらゆる人も組織も「無防備」である。
彼らには守りがない。
彼らは武装解除されている。
「すべての支配と権威」は「武装を解除」されている。
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。(エペ6・17)
キリストの御前で、万物は「丸腰」である。
そして、こちらには「御言葉」というあらゆるものを刺し貫く武器がある。
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブル4・12)
また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。
この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。(黙示録1・16、2・16、19・15, 21)
神の言葉は、万能兵器である。
何ものも御言葉には勝てない。
聖書は議論の対象ではなく、議論の対象となるものを調理するための器具である。
レストランで、ナイフを食べる人がいるだろうか。
聖書を皿の上にのせて食べようとしても無理である。
聖書は、料理を切り裂くための道具である。
聖書よりも固いものがない以上、聖書によって切れないものは何一つない。
3.主が私たちとともにおられる
神が味方であれば、誰が負けるだろうか。
カナン人との闘いにおいて、創造者が味方である。
だから、確実に勝てる。
創造者以上の権威は存在しないのであるから、必ず勝てる。
このような信仰がないと、クリスチャンになってもグラグラして、悪霊にやられてしまう。
ヨシュアとカレブのように「疑わない」という習慣をつけ、一点のほころびもない信仰を身に着けよう。