リバタリアン主義の躍進!?
- 2016/06/07 21:26
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:社会, 信仰
- Tag:再建主義, リバタリアン主義
この記事は要注目だ。
リバタリアン主義はラッシュドゥーニーの再建主義の影響を受けている。小さな政府と税負担を軽くし、自己責任論を強調、時にはミリシアもあり得る。レーガンもその影響を受けていたが、そのリバタリアン党が脚光を浴びつつあるようだ。今は、なんとなく消去法的な印象であるが、これまでの民主党も共和党もウンザリしているところがホンネであろう。1%が国家の70%の富を独占する社会って、どうみても正常ではない。
その再建主義の富井氏がこう言われている:
tomi 2016/06/06(月) 13:14
日本人が一発屋を目指すプレ・ミレに惹かれることはない
1.
・・・
日本人は、目標を達成するために努力を惜しまない民族である。
こつこつやるから、最終的に世界で日本製品が独り勝ちしてきた。
2.
・・・
結局、こつこつ努力して力をつけた人が勝つのだ。
他人の収穫を当てにするような人は、最終的に負ける。
品性が卑しくなるので、まともな人が寄ってこない。
こういう人は、人生の敗北者である。
こういう人の集まる国や文化は、いつまでも第三世界から脱出できない。
3.
ポスト・ミレは「努力による文化建設」を目指すが、プレ・ミレは、「他人の果実を得ることによる文化建設」を目指す。
ポスト・ミレは、「紀元70年に、世界はイエス・キリストの御国になった。だから、クリスチャンが努力すれば、必ず世界は徐々にクリスチャンのものになる」と信じる。
プレ・ミレは、「世界は悪魔のものだ。だから、イエス・キリストの再臨に頼るしかない。今の世界で努力しても無駄だ」と信じる。
どちらの思想で子供を教育したいと思うだろうか。
どのまともな親が、自分の子供に「地道な努力を嫌い、他人の恩恵にすがる」人間になってほしいと思うだろうか?
ポスト・ミレは、こつこつ努力する日本人に合っている。
日本人が、一発屋を目指すプレ・ミレに惹かれることはない。
彼が言うように、AD70年にイエスが再臨し、黙示録の19章までは成就したのであれば、黙示録はAD70年以前に書かれている必要がある。これについてはすでに論駁しているが(①、②)、どうも私の印象では、富井氏のスピリットは敬意を表するに値するが、彼が経験した"ディスペンセイション主義"がそもそもおかしいのではないかと思うのだ。主は死と復活を通して天地のすべての権威を得たのだ。が、現在はサタンが世を不法にも支配していることは事実(1John 5:19)。そこで、主はその地を奪還せよ、統治せよ、全地に福音を述べ伝えよ、と命じられた。
今は来たるべき千年期の前味わい。なぜなら、私たちの体が依然として旧い創造であり、それは神の国に入ることできないからだ(1Cor 15:50)。現経綸では私たちの霊が神の国のリアリティーに触れ、私たちの魂と体を通して、神の国のサブスタンスがこの物理的領域に現出する。こうして地を得ていくのだ。すでに既出であるが、富井氏と小生の旧約と新約の理解をシェマティックにまとめておく。
なお、申命記8章32節(Deut 8:32)に「神々の数に従って地を割り当て、主(YHWH)にはヤコブが割り当てられた」とある。これは地が神々(Elohim)に分配されたわけ(先に紹介した"THE UNSEEN REALM"の論題)。この地をYHWHへと奪還すること、そして救いを受ける異邦人の数が満ちるとき(Luke 21:24)、主は再臨される。その後に、ミレニアムが到来するのだ。ゆえに私たちには神の国を増殖することにより、再臨を早める義務がある(2Pet 3:2)。
そしてそもそも努力なる単語はフェイスと反するではないか。
人間を豊かにするのは主の祝福である。人間が苦労しても何も加えることはできない。-Prov 10:22
フェイスはスーパーナチュラルのパワー(デュナミス)を解放する。すべては内にいますキリストの恵みによるのだ。
神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。-1Cor 15:10
どうも再建主義は五感の領域のことと霊的領域のことを混同している感がするのだが・・・。ああ、またあまり指摘するとアナテマされるので、この辺で 繰り返すが、富井氏の姿勢は大いにリスペクトしていること再確認しておきたい。