聖霊派の聖霊知らず
- 2016/10/17 19:17
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:聖霊論, ベニー・ヒン, ニッポンキリスト教
昨年、ベニー・ヒンが自分の聖霊論が誤りであると悔い改めたことはすでに書いている(⇒http://www.dr-luke.com/diarypro/archives/4794.html)。私は『リバイバル新聞』に記事を書くことになって、それまでまったく無縁であったニッポンキリスト教と関わらされた。で、目が点になる経験をたくさんさせられた(感謝なことです)。
そのひとつが、「聖霊様、聖霊様、聖霊様」とやる人たちの存在。これは実に意外というか、違和感を覚えた。私にとっては霊的経験はすべて「キリストにあって(In Christ)」であり、呼び求めるべき御名は「ジーザス」のみ。ワーシップもジーザスにフォーカスせよ、と英国のColin Urquhartに指導された。私たちが「ジーザス」を褒めていることに対して、一人の人だけを崇めるのは危険だとおっしゃった人もいたくらいだ。やれやれ・・・。どうも、この「聖霊様」はチョウ・ヨンギ辺りにルーツがありそうだが、ある種の臭いを感じるのだ。キムチ臭というか・・・。
「天に父がいて、隣にジーザス、地上には聖霊様、すでにジーザスの時代は終わり、今は聖霊の時代とか」-これは三神論だとかねてより指摘している。聖霊はジーザスの言葉とわざを証する霊、ジーザスは父のうちにおり、父はジーザスのうちにおり、聖霊により父と子が私たちのうちに住まわれる。ジーザスは父をエミュレートし、聖霊はジーザスをエミュレートする。聖霊はジーザスのメモリーを私たちのうちに実体化してくださる。わたしたちはアダムにあった自分のメモリーによってアイデンティティーを確立するのではなく、新創造として聖霊によるジーザスのメモリーによって生きるのだ。この辺はアンドリュー・マーレーが『キリストの御霊』で説いているが、最近の業界出版界の劣化現象により(それは読者のレベルの反映であるが)、絶版らしい。
当時、『リバ新』に掲載した私の記事に対して、編集部にえらい剣幕で抗議の電話が来たり、一部で不買運動が起きたりもした。私は論説委員を下ろされ、私の著書『真理はあなたを自由にする』は絶版となった。この本は聖霊派には実に不評であったようだ。当時から私は「聖霊様」がおかしいと指摘していたが、ようやくベニー・ヒンが悔い改めて業界の空気も変わってきたようだ(これもなんとも情けないことだが、そもそも自分で聖書をキチンと読んでくださいな・・・)。「聖霊様チャント」を唱えているうちにおかしな霊を招き寄せ、どうみても野鳥の羽であろう「天使の羽」とかで舞い上がる向きもあるわけ。せめてキチンと出るところに出て鑑定してくださいな。舞い散る「金粉」とかもね・・・。それから証ししましょう。そうでないと、神の栄光どころか、主の御名を貶めることになるでしょう。世の人はもっと冷静ですから!
というわけで、ちょっと苦言を呈しましたが、後はこちらをどうぞ。
・御霊と人の関わりについて-油注ぎと油塗り(⇒http://www.kingdomfellowship.com/Topics/Anointing.html)
・ 油注ぎと油塗りについて(⇒http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/q&a/Q&A_3.html)
・ニッポンキリスト教の七不思議-加えて八不思議になりした-(⇒http://www.kingdomfellowship.com/Ministry/q&a/7wonders.html)
追記:この機会に-私はいろいろな雑誌や新聞に記事を書いたりしておりますが、ニッポンキリスト教のいかなる教団・教派・組織・学校・メディア、さらにナントカ派やカントカ主義とは一切関わりがありません。あちこちの先生たちに義理もなければ、気を遣う必要もありません。よって言いたいことは言わせていただくのスタンスであります。そこんとこ、ヨロシク
鳩
ベニ・ヒン氏。
マイクに息を吹きかけて会衆を倒すパフォーマンスの際に、ミキシングで人の聞こえない低音域の音量をMAXにし、その音圧で倒していたことは、悔い改めないのでしょうかねえ。