携挙の時期
再建主義ではすでに千年期。よっていわゆる切迫携挙などはないとする。すでにイエスはAD70年に一度目の"再臨"をされ、携挙も起きてしまったと。これから全世界がクリスチャン化され、文字通りの御国が設立された暁に、二度目の"再臨"があるというわけだ。
対して、切迫携挙の代表がこちら。この方はチャック・スミスのカルバリーチャペルの牧師。カルバリーチャペルは親イスラエルと聖書預言に関してこだわりが強い。終末論も専門とするので、この辺りにプライドが高い傾向がある。中でも前艱難携挙説(最後の7年前の携挙)は絶対譲れないとする。
今回のこのメッセージではその説に関して攻撃を受けて、相当にまいっているような雰囲気があるが、それでもなお、中艱難期携挙や後艱難期携挙などによって揺るがされないと宣言している。
マタイ7章(Matt 7:21-23)の、主によって、「あなたを知らない」と言われる人々のことを聖霊を持っていない人、つまり救われていない人と解しているが、これも少々違う。前にも触れたが、この聖句は救いを受けるか否か、つまり永遠のいのちを得ているかどうか、が問われているのではない。御国を嗣ぐかどうか、つまり千年王国を受けるかどうかの判定なのだ。ここの「不法を行う」とは"anomia"、つまり「法則に従わない」の意味。たとえ善をなしても、いのちの法則によらない場合はアウトなのだ。私たちが問われるのは「善か、悪か」ではないから。鍵は「いのちの木か、善悪の木か」、だ。
ちなみに私は前7年説は採らない。黙示録を素直に読めば、かなり後期になる。最後のラッパも七つのラッパの七番目とするのが自然。黙示録(Rev 4:1)のヨハネに対する「上がって来い」を携挙とするのは不自然。これはあくまでもヨハネ個人の経験と解する。
時代は相当に煮詰まっている。中東が混乱するほどに、神は裂かれた天から地に介入されたいことをひしひしと覚える昨今ではある。
どうか、あなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々が震い動くように。-Isa 64:1