イスラエル再建70年記念日にイスラエル米大使館移転の霊的意味(1)-1948年の預言成就-

米国は今年5月14日に大使館をエルサレムに移転すると。この日はイスラエル再建70周年記念日。あえてこの日を選んだのも、現代の”キュロス”たるトランプの象徴的意図かもだ。まことにバビロンの捕囚から70年でキュロスは解放令を出し、神殿の再建を命じたのだった。以下、2011年8月4日の記事の再掲。

さて、1948年は・・・もちろんイスラエルの再建国の日(5月14日)。AD70にローマのタイタスによって滅ぼされ、2,000年にわたるディアスポラから約束の地にイスラエルが帰還した日。現代のユダヤ人の定義は必ずしも血統的なものではないので、もちろんそのすべてがアブラハムの子孫ではないだろう。が、この国が神の瞳であることは動かせない霊的事実だ(Zech 2:8)。私は置換神学はとらないし、それは真理ではない。彼らの選びは経綸的選びではあるが、今も有効である(→「教会とイスラエルの関係について」)。

アブラハムの子孫が外国に囚われた機会は何度かある。一度はエジプトに430年(Exo 12:40)。次はアッシリアによる北王国の崩壊(BC721)、およびバビロンによる南王国の捕囚。このバビロン捕囚はエレミヤなどにより70年間と予言されていた(Jer 25:11)。この期間の数え方は

・BC606年(第1次捕囚 )~536(故国への帰還)の70年
・BC586年(神殿の破壊)~516(神殿の再建)の70年

と複数ある。いずれにしろ、バビロンに捕囚された民の一部が帰還し、大多数はバビロンに残った。バビロンでもそこそこの生活が楽しめたのだ。これは神の国よりもこの世を愛することの象徴であり、レフトビハインドの予型でもある。

さて前者に基づいて次のような計算が成り立つ。エゼキエルに

また、一枚の鉄の平なべを取り、それをあなたと町との間に鉄の壁として立て、あなたの顔をしっかりとこの町に向けよ。この町を包囲し、これを攻め囲め。これがイスラエルの家のしるしだ。
あなたは左わきを下にして横たわり、イスラエルの家の咎を自分の身の上に置け。あなたがそこに横たわっている日数だけ彼らの咎を負え。
わたしは彼らの咎の年数を日数にして三百九十日とする。その間、あなたはイスラエルの家の咎を負わなければならない。
あなたがその日数を終えたら、次にまた、あなたの右わきを下にして横たわり、ユダの家の咎を四十日間、負わなければならない。わたしは、あなたのために一年に対して一日とした。-Eze 4:3-6

すなわち430日、1日は1年だから430年。ここから従順の年数である70年を引くと360年。レビ記に神は不従順に対しては7倍の裁きを行うとあるゆえに(Lev 26:18)、360×7=2,520年。聖書の1年は360日だから、2,520×360=907,200日。太陽暦に直すと907,200÷365.25=2483.8年。ここでBC536年から数えると

-536+2483.8+1=1948.8(紀元0年はないことに注意)

かくしてエゼキエルの予言は、AD70年の世界へのディアスポラ以降消失したイスラエルの1948年の再建国をもって見事に成就しているのだ!(Grant Jeffrey, Armagedon-Appointed With Destiny, 1988)

今日のイスラエルに対してはクリスチャンと称する者たちですら、反イスラエルの霊によって動かされている傾向がある。よく言われるのは、イスラエルは悪いことを散々しているではないか、と。そのとおりかもしれない。例えばPLOの指導者ラビンという車椅子の老人をミサイルによって暗殺もしている。パラノイドのなせるわざだ。私はイスラエルが完全に正義であり、神聖にして犯すべからずとは言わないし、そう主張するイスラエル・フリークでもない。これは折りに触れて書いていることだ(参考:イスラエルの病理についてはこちらを)。

しかし、イスラエルの選びは永遠であり、神の瞳であることを私は固く信じている。イスラエルに触れる者は神の瞳に触れるのだ。神は何故イスラエルを特別扱いするのか?と人は言うだろう。聖書はそれは神の主権であると答える。いわゆるクリスチャンと称する人々において、今後、イスラエルに対する姿勢によっても篩い分けが起こる。それは神の主権に服するか、それとも逆らうのか、という神に対する根本姿勢が問われるからだ。正義・不正義を論じることではないのだ(cf. Gen 31:24)。神はこれまでも、今も、そしてこれからもエクレシア(本質的選びの民)とイスラエル(経綸的選びの民)を車の両輪として、ご自身のご計画を進められる。よって次の約束は依然として生きているのだ:

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。-Gen 12:3

このことはイスラエルを実質的に見捨てるアメリカ(元記事はオバマ政権の時に執筆)、あるいは反イスラエルのノルウェーの状況を見れば明らかである。そのアメリカのポチと化したニッポンも同様である。私は2011年3月8日に「March 11, 2011 The Day It’s Coming」とあえて赤字で書き、3月11日の朝にもこのニッポンのイスラエルに対する姿勢に関して警告をした(→「反イスラエルの霊の台頭」)。すでに終末に入った現在、神の主権に服するか否か、この各自の姿勢がただちに物理的次元において結果を現出させる様相となっているのだ。今のニッポン(Japan)の状況は、イスラエル(Jersalem)とは決して無関係ではない。

次の主イエスのことばは、現在のこの世化した判断基準によれば、まさに二元論的カルトとなるだろうが、これは主ご自身のことばなのだ。このことばに対してよくよく注意して応答すべきなのだ。

わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。-Luke 12:23

今こそ、エクレシアは自分の生活や自分の満足といった次元を離れて、霊的領域において神の主権の実際的確立と神のご計画の進展を祈るべきである。具体的には、今、ここにある危機を迎えつつあるエルサレム(イスラエル)のために祈ることによって証明される。

人々が私に、「さあ、主の家に行こう。」と言ったとき、私は喜んだ。
エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。
エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。
そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。
そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があったからだ。
エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」
私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。「おまえのうちに平和があるように。」
私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。-Ps 122:1-9

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